内海新聞のブログ

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1889:ミッドウェイ海戦と南雲忠一

 暑いね。そして8月になる。米軍の動画、戦争映画の動画も観る。好きなのはFURYで、あの戦車の白兵戦が何度見ても迫力ありすぎていい。そういうYouTube動画をみていると「ミッドウェイ海戦」の映画も出てくる。

ミッドウェイは、旧帝国海軍が「歴史的大敗」をしてボロ負けした……戦いだ。日米の戦争の転換点と言われている。

近年はVFXが進んで当時の帝国海軍の軍艦、ゼロ戦などのディテールも実写のようにリアルに描かれる。パールハーバー奇襲で空母赤城から発艦するゼロ戦と兵士らが見送るシーンすら実写かと……思う出来だ。

これは当時戦勝国で旧大日本帝国を解体・占領したアメリカが膨大な「現地映像」を保管していて、多分、もう70年以上経ったので「見せてもいいだろう」と映画製作者などにも開示しているからだと……思った。

アメリカ軍は日本政府よりリアルに当時の日本の実態を映画記録したり写真撮影して持っている。だから彼らのほうが客観的に日本をよく知っているわけ。皮肉だよね。日本国民の自分たちは自分たちの国の事を知らない……。

なので、より一層当時の日本海軍の状況も知ることができるようになった。

ミッドウェイ海戦でボロ負けした理由
 映画などの映像を見ていると、当時、日本軍は第二次大戦でナチスドイツと組むことになり、これまで貿易で依存していたアメリカとケンカする立場になった。

それで「強大なアメリカに勝つには」「無手勝流で奇襲して米軍の鼻をへし折るのが得策」と軍上層部は考えた。

で、これを企画したのが当時の連合艦隊司令官でもあった山本五十六だった。それで、あの真珠湾パールハーバー)奇襲が行われた。

奇襲は軍事的には成功し(外交的には大失敗した)、日本軍は「勝利に酔いしれた」私が思うに……この「酔いしれ」が日本の歴史的な悪い癖で、日露戦争でも「ロシアに勝った」と「酔いしれ」ポーツマス条約の市民らの「勘違い暴動」を起こした。

その前には「元寇カミカゼ」で、当時の中国・モンゴル(元)の大軍を自分たちの非力な軍隊で撃滅するのでなく、ただ台風がきたんで勝手に沈没したのを「勝利」と勘違いして「酔いしれ」……「神風」「カミカゼ」のヤバい……思想を信じるようになった。

このとおり、自分は日本人だし日本民族として長い歴史をもつ家の出だけど、正直「恥ずかしい」んだ。

「なんて、幼稚な連中なんだろう」「だから欧米にバカにされ続けるんだろうな」と。

今のウクライナ人、ウクライナ軍を見ていると「彼らのほうが優秀だよな」と感じてしまう。そして、ウクライナの人も「日本人はダメじゃん」と内心思ってるさ。

グレゴリーとかも思ってるだろうな。言わんけど。まあ、いいよ。残念だけどこれが日本。わが祖国だ。

このダメな人間性、国民性は第二次大戦でボロ負けしても「改善されなかった」。というか、いっそうダメになっている気すらする。

真珠湾奇襲で「錯覚」した日本
 真珠湾奇襲で陣頭指揮を執ったのは南雲忠一(なぐも ちゅういち)中将だった。空母6隻、戦闘機350機でハワイの米軍の真珠湾の基地を襲った。

で、すごいよなと思うのは、アメリカの建国以来の歴史でも、あの世界最強のアメリカ海軍にガチで、自分たちの空母、戦闘機で正面からバトルしまくった国は日本しかないんだよ。ロシアや中国ですらやってないんだから。

ましてやアメリカ軍の主力基地を空爆で壊滅させた国も日本しかない。

そして今も思うんだけど当時の日本海軍の科学技術はたいしたもので、重工業や精密工作技術もあり、全長263m、世界最大の口径46㎝の大砲を備える大戦艦「大和」「武蔵」を作ったり、10隻もの空母艦隊も持っていた。今、世界最強のアメリカ軍も空母は11隻なのだから。

昔の日本海軍のすごさが……わかると思う。さらに高性能な戦闘機のゼロ戦もあったわけで……。

当時のアジアのどこにも日本軍に匹敵・越える国はなかった。このベースが今の日本を先進国にのし上げたのは……事実だろう。ニコンなんて海軍の望遠鏡のレンズ作っていた会社なんだから。

さて、真珠湾の奇襲攻撃は多数の戦艦を撃沈し、ほぼ壊滅といえるダメージを与えることができた。空襲は2回行われた。

だが、当初山本らが考えていた「空母を含む米海軍主力部隊を全滅させる」目標は達せられなかった。

現地に停泊していたのは、時代遅れの戦艦ばかりだった。もっとも米軍にとって大事な空母と艦載機はいなかった。

そして、ここで奇襲部隊の一角を担う山口多聞(やまぐち たもん)少将が「米軍の補給施設(燃料タンク)など爆撃しそこなったターゲットがあるので、3回目の爆撃を行い壊滅させるべき」と進言したようだが、司令官の南雲は「これ以上いたら、米軍の反撃を受けるので空母を守るため全軍帰還」と追加の攻撃をせず艦隊を帰還させた。

これが……大間違いだった。というか米空母打撃群を探索・発見できなかった当時の日本海軍のレーダー、情報力の無さが「悪い」と思う。

この山口多聞って、ミッドウェイでも最後までアメリカ軍に猛攻撃かけ、実力ともに大した軍人だったけど多勢に無勢で負けて空母飛龍と一緒に海に沈んだ。自分的には山口多聞は「アホの南雲を上官にしかわいそうだったな」と思う。

その山口の進言を聞き入れなかった南雲は「アホ」でいいと思う。

この南雲の「中途半端な甘さ」が、のちの日本軍の負けを生み出す。で、問題はこの作戦の立案と総指揮をとっていた山本五十六が南雲の判断を「追認」したことである。

おかしい。なぜ?

そして、歴史的事実として確かに日本軍の奇襲により米海軍は主力戦艦など多数を失ったのだけど、南雲らが「爆撃し損なった」補給施設などは温存されていたので、ただちに復旧作業が開始され、沈めたはずの船たちも修理とかして再度戦場に戻る……ゴキブリのような生命力・回復力を米海軍はした。

そして、生き残っていたキモの米空母艦隊は元気なままで、これがのち、日本海軍を壊滅させるわけだ。

つまり、この時日本軍は「空母艦隊を探しつくして」「追撃して空母艦隊も破壊」しなければダメだったのである。

でも、日本軍は「小心者」で変な所で……やめてしまった。

■なぜ?日本軍はマヌケな動きになったのか?
 これなんだけど、第二次大戦通して旧日本軍がダメだった要素に「レーダー」「情報」がある。

これが、戦争の負けを完全に決めていたポイントなんだ。

戦争で大事なのは「敵軍の正確な位置」「敵軍の補給・戦闘持続期間」を完全に知ることだ。その情報がないのに、大軍を動かす、むやみに戦闘をしかけるのは……逆に敗退・死ぬことを意味する。

今のウクライナ戦争だってそうだよ。今のウクライナは強大なロシア軍を前になぜ1年以上抵抗できてるのか?明らかに非力だったウクライナ軍が粘れるのか?

それは、米英・NATO軍の「衛星や飛行機による偵察情報」「スパイなどの情報」による支援が得られているからなんだ。

これによって、ウクライナ軍はロシア軍がどこにいて、どれぐらいの時間活動できるか?計算・把握できる。そして、どこをたたけば、相手がダメージ大きいかも判断できそこに兵士や戦力を投入できる。

少ない軍勢でも効果的にロシア軍をたたいていける。

そう、アメリカやイギリスが強いのは「レーダーや情報能力」なんだよ。ベースの経済や軍事力もそりゃ強いけど、戦争の勝敗を決めるのは「情報」なんだ。

その点で、当時の日本軍はレーダーや情報力において「あまりにも弱かった」

そのため、米軍の正確な位置、展開規模を知らないまま「特攻」「玉砕」って叫んで「バカの骨頂」で突っ込んでは、米軍に撃たれ「犬死」していった。

この辺いうと、いぶかる旧大日本帝国軍人子孫がいるかもしれないが、事実なんだから素直に認めろ……と思う。

その反省がなければ「いつまでたっても未来永劫米軍には勝てない」だろうし「日本国の独立」なんて「全く無理」だと思うよ。

そして、私が知る限りでもこうしたポイントをきちんと考えて戦略や指揮取れる軍人が日本にはいるようでいない。

相変わらず「大戦略のなさ」「変な楽観主義」「データの裏付けのない思い付き」「必要な支援、ロジスティックスの計画も建てられない」「それに対応する予算獲得もできない」……旧帝国軍の「マヌケ」だけは「伝統のように継承」してやっている。

あとは「根性論」。「竹やり特攻もう1回」……バカもいい加減にしろ。

結果として、また負けるだけ……そういう状態なのだ。

私が住む愛媛県には集落のいたるところに「軍人墓地」がある。まっすぐそびえたつ「モノリス」のような棒のような墓石。

見ると「陸軍伍長」とか「下の兵士」ばかり。ものすごい数……ある。

これって愛媛県の人は「まじめな右翼」「愛国心満載」で当時、村総出で若い男性を兵士に送り出していたことがわかる。

関西に住んでいたけど、あんまこういう墓の光景なかった。京都でもさほど見なかったよ。でも、愛媛県はやたら多いんだ。だいたい昔からの集落の「家の息子」ほとんど死んでる。

彼らはアホな軍上層部の命令で「見事に戦死」「犬死」させられた。「サイパン」「アッツ」「硫黄島」「沖縄」……何回「玉砕」やったのだ?

ロクな本土からの燃料や食料補給もせず(既にできない)マヌケ状態で、「現地でがんばれ」「もちこたえろ」だけ無線で言って……放置。

現地の兵士らは「食べるものもない」「ヘビや虫でも食って」「さらに死んだ同僚の死体を食って」「弾のない銃で」「バンザーイ」と叫んで手りゅう弾で自爆特攻……

それすらも爆発する前に米軍の火炎放射器や機関銃でなぎ倒される。

これが、南方前線の「むちゃくちゃ」「ボロ負けぶり」だった。

その屍の山が、愛媛県の集落のいたるところに「そびえたって」いる。

この光景を観ていて涙も枯れるわ。「ひたすら安らかに眠ってください」としか言えないよ。

「何のために戦ったんだろうね?」

山本五十六はなぜ南雲忠一の帰還を認めたのか?
 せっかくなんで、この当時の海軍の幹部のことを調べた。面白いことがわかった。

私の場合、人物鑑定もできるので当時の人間が「どんな人物」「どんな思考」をするのか……読み解くことができる。

それにそって「こう動くのか?」「こうするだろうな」と読むこともできる。おかげで「信長」「秀吉」「家康」の歴史的なシナリオも読めるんだ。面白いよ。

で、まず伝説の山本五十六だけど、彼は実は日本の対米戦争は「大反対」だった。なぜか?

山本五十六海軍兵学校を出てから、アメリカに留学した。なんとハーバード大学行っている。あの当時、国費でハーバード大学に留学できた日本人なんてほとんどいない。
それぐらい国家としてエリートコースを歩んでいた。山本はアメリカ人としてのライフスタイルも送り、アメリカという国を「肌で」知っていた。英語も堪能になり、駐在武官も務めた。

それぐらいのエリートがゆえ「アメリカと戦争?」「バカもいい加減にしろ」「まったく無理だよ」というのが「当たり前の認識」だった。

当時のアメリカの経済力・軍事力はすでに日本がいくらがんばっても追いつけない……レベルだし。

当時の大日本帝国は、アメリカから戦争に必要な石油や鉄を輸入してしのいでいた。そんな貿易依存状態で……アメリカと決別して逆に戦争する……

これは、誰が考えても「アホ」だよな。

なのに、旧大日本帝国政府は「アメリカと戦争すべき」となっていた。これを推進したのが当時の自民党にあたる政党の「政友会」で、大阪出身(大阪の連中は維新と一緒で日本をダメにする)森 恪(もり かく)のような「満州利権ズボズボ」の政治家だった。

当時の日本は朝鮮半島(北朝鮮と韓国)を植民地として併合し、さらに北朝鮮の上に広がる中国東北部一帯を「傀儡の満州国」として実効支配し、領土化していた。

満州の広さは巨大なので、そこでの資源・都市開発は「北海道開拓以上のすばらしさ」だった。

この莫大な満州利権の恩恵を受けていたのが陸軍であり、東條英機らだ。そして、その満州利権を米英が「よくない」と妨害、日本から引きちぎろうと……していた。

それで「反米英」の機運が生まれたわけだ。今の米英が対ロシア、対中国に対して行っている「嫌がらせ」「妨害工作」と変わらないのだけど。当時は日本にそれがなされた。

それで「満州は生命線」「米英の謀略には屈するな」という反米英思想が軍部内・政権内に起きていくわけ。

要は「金・モノ」の問題なのよ。天皇制がどうとかでなく、当時の「財閥」「軍部」が「自分たちの膨大な満州利権」を失いたくないから……動いていた。軍部にも。

彼らは、政友会のような政党も政治資金・わいろで買収して、政界工作、軍部も抱き込んで……反米英戦争まで起こした。

こうした動きを憂慮して「アメリカと戦争するな」と思っていたのが、なんと昭和天皇であり、海外に留学したりして国際感覚を身に着けていた山本、米内光正(よない みつまさ)、井上成美(いのうえ しげよし)の「海軍上層幹部」たちだった。

だが、そういう彼らは財閥と陸軍上層部では「目の上のたんこぶ」になった。そして大日本帝国政府の中も「意見の相違」で「政治闘争」が始まった。

■米英は日本を弱体化させようとした
 米英は「ワシントン海軍軍縮条約会議」なるものを企画して、日本を呼んで「戦艦の保有数下げろ」と迫った。

当時は戦艦が軍事力の象徴なので、これは米ロの「核弾頭削減」交渉と同じで、国家の軍事力存亡では致命的な話になる。

だが、米英は当時「でしゃばってきた」日本を「たたく」ためにこういう「外交トラップ」をかけてきた。今も同じだけどな。

当然日本は承服できない。もめる。

■海軍が2つに割れケンカした
さて「米英が日本の戦艦数へらせ」と言ってきた。日本政府内でもどう対応するか?でもめる。意見は二分された。

片一方は「アメリカやイギリスとうまくやって、したたかに生き延びるべき」という海軍「条約派」で、

もう片方は「アメリカやイギリスと断交してナチスドイツのヒトラーと組んで米英を逆につぶして領土を拡大すべき」という「艦隊派」となった。

で?皆さんはどう思う?どっちが正しかったか?

■バカが頭のいい人たちを「駆逐」する、安倍政権・維新とそっくりな構図
 さて「満州利権派」の連中は、安倍政権・維新の連中とそっくりで「金とモノにおぼれる」「バカ」が多かった。

いっぽうで「対米戦争反対」の軍人は「高学歴」「エリート」「海外事情通」が多かった。

「バカはバカだまりをつくり、頭のいい人、ちゃんとした人たちを駆逐する」
この法則が……起きた。

前述の満州利権の代弁者の森恪は「山本らに及ばない学力アホ」だった。慶應大学に入れず、一橋大学も落ち、親の後光で三井物産のサラリーマンにしてもらい満州利権で暗躍する。そして国会議員になって、陸軍らとつるんで「海軍の親米派を一掃」「追い出す」工作をする。

こうして、海軍側でそのグループにいたのが冒頭の南雲忠一だった。

南雲は、山本・米内・井上らのエリート幹部を「脅す」ようになった。

ひどい話なのだが、山本・米内・井上らは「海軍の上層部」で兵士ではない。ところが当時の陸軍・艦隊派の連中は「うざいからあいつら殺しちまえ」「暗殺やろうか」というところまで動いていた。

今の自民党の政争でもそこまではしないけど、変死ぐらいだろ。

だけど、あの当時の帝国は軍人強かったし、何でもやった。右翼の暴力団連中を雇って対抗勢力をつぶすとか、殺しちゃうとか……けっこうあったんだよ。

なので、さすがの山本、米内、井上らも「いつ殺されるか」「遺書」書いて持っていた。

それぐらい命かかっていた。

南雲忠一は「ワシントン条約で米英に従った方がいい」と主張する井上成美を「殺すぞ」と何度も脅した。

さらに、条約派を「つぶす」ために、新たな手を打った。それは艦隊派の「シンボル」に東郷平八郎や、皇族で唯一職業軍人で現場実績をもつ伏見宮を「みこし」で担ぎ上げて「皇室や大元帥が言ってるんだから正しい」「お前らは国に歯向かうのか?」みたいに論調を作り上げた。

そして、山本・米内・井上、そして山本と同期でもっともIQが高くて頭のよかった幹部の「掘悌一(ほり ていいち)」を軍の主力ポストから追放した。

ひどかったのは山本の盟友、親友だった掘悌一であり、将来の海軍大臣になると誰もが認めていた逸材だったのに、あっけなく「軍からやめて出ていけ」と追い出した。

幸い殺されずに済んだが、堀は中将だったのに民間人にされた。

この堀さんって人のことも調べたんだけど、まあ、優秀だった。偏差値70以上の天才。

山本五十六は南雲に「知的な嫌がらせ」をした
 で、井上みたいな人間を「殺すぞ」と脅した南雲忠一。そして、政府は御前会議で結果的に「対米開戦」決議する。

で、大反戦派だった山本五十六は「決まった以上、職業軍人としてアメリカをたたきつぶして勝つしかない」とやるわけなんだけど

同期で親友だった堀悌一には「あいつら、アホ。負けるぞ。しかたない。死ぬわ」みたいな手紙を送っていた。

昭和天皇以下「やれ」と決めちゃった以上は……「命令ですからやりますけど」「がんばるけど1年~いいとこ1年半ぐらいしか自分も責任取れません」と完全やる気なしモードで、対米攻撃戦略を企画、実施する。

その辺はプロなんで「今の帝国海軍の限界で何とかやる」と。プロ軍人として動く。

山本が考えたのは
「日本はそもそも、軍隊を動かすための石油や鉄資源を持っていない。アメリカに頼っている。そのアメリカとやるには短期決戦しかない。1回で猛攻撃して徹底的にアメリカの主力艦隊を壊滅させて、ぎゃふんと言わせて相手がひるんで戦意喪失した時点を見計らって【和平提案】をして、逃げる」

これだった。今のウクライナ戦争が「どこで和平に入るか」「それは相手を十分やっつつけて弱らせてから」になってるのは「正しい」

そう。山本の見立て、戦略は間違っていない。ただ、ここで山本は自分たちを「いじめて」「追放」した「艦隊派」に「おなら」をこいた。

わかる?これ、偏差値70以上の東大クラスの人間がよくやる「パターン」なんだよ。

それは、相手を「構造的トラップ」にはめて「自分で死んでもらう」ようにする。
会社の人事とか、よくやる。

それを、山本はやった。自分たちを殺そうとした南雲忠一をおだて「君が司令官やれよ」とアメリカ奇襲の「実行隊長」に任命した。

これには南雲も「まずいわ」と思ったんだろうけど「はい。やります」とやったわね。という南雲もバカじゃないんで「これ完全ババだよね」「俺が責任取るの?」と思ったそうだ。同僚に「やりたくないわ」と急に「逃げ腰」になっていたという。笑えるね。

実は、海軍で航空母艦ゼロ戦による「航空戦」を立案、企画した「功労者」は自分たちが追い出した「井上成美」だったのだけど。

そう、海外経験豊富な井上成美は「これからは戦艦でなく、空母打撃群による空爆と航空戦が戦争のメインになる」と直感して、日本海軍の空母艦隊を推進したのだよ。
その功労者を、アホな「艦隊派」の連中は「殺すと脅して追放」したのだった。

この時点で完全、バカだね。

さて、南雲は空母6隻の大艦隊を率いて、ハワイの真珠湾の奇襲を見事に?やってのけた。

だが、この作戦の本質は「ハワイの米海軍主力部隊を全滅させ、ホワイトハウスをぎゃふんと恐怖に陥れ、そこで和平をもちかけること」だったのだが、

「全滅」が、まずできなかった。戦艦なんか正直時代遅れで、いらないもの。一番大事だったのはアメリカの空母打撃群をつぶすことだった。

さらに、戦争で大事なのは「後方支援能力」を「破壊」することだ。だが、南雲らの攻撃隊はハワイの軍施設の「補給」「ロジスティック」部門は破壊できず、逃げ帰ってしまった。

その時点で「失敗」が起きていた。

さらに致命的だったのは日本政府・軍部の「情報力」のなさだった。もともと真珠湾を爆撃する30分前には、アメリカの日本大使館が「宣戦布告」を通告することになっていた。そうしないと国際法違反で、日本はロシアと同じく「テロリスト」扱いになる。

アメリカと戦う大義を国家として正当に主張できなくなる。

ところが、外務省の連中は、本土の連絡を「忘れて」宴会に興じて遊んでいた。見つけてあわててアメリカ側に届けたが「爆撃後」であり

「お前ら、不意打ちか?卑怯だな」
ルーズベルト大統領を激怒させることになった。

そして、ルーズベルト大統領は「アメリカ国民、日本が卑怯な手段で攻撃してきた」と「被害者」を国際社会で主張することができた。

これ9.11テロの「いきなりテロ」と同じ構図。イラクのサダム=フセインの「クウェート突然侵攻」と同じノリで、アメリカが「相手国を大空爆する」言い訳の典型パターンなんだけど、それ……やってしまった。

このことを「アメリカやDSの陰謀だよ」っていう「アホ」がいるんだけど、それだけでは済まないんだよ。

今もそうだけど、日本の外務省は「仕事しない」「遊んでる」多いんだよ。あの時代から同じ構図。

だから、悪いのは外務省だね。完璧。

■失敗した南雲を「ほめ殺し」する山本五十六
 で、みなさんは歴史をどうせ、司馬遼太郎の本程度でしか知らないから。私は実は、昭和の近現代史が好きで詳しい方だったので。

ただ、神覚してからは古代、平安から江戸までの歴史も好きになり調べて考えるようになったけど。

とくに、第二次大戦の話、旧帝国海軍の話は好きなので詳しい方かもしれない。
それでも、今回あらためて考えて思ったのは「山本五十六は南雲を構図的にリベンジしたんだな」と気づいた。

というのは、南雲は真珠湾攻撃の際、航空戦に全く不慣れな南雲をあえてトップにした。それは「どうぞ、お手並み拝見」とおだてておいて「どうせ、しくじるわ」と思っていたからに違いない。

南雲が勝手に「コケて、失態をさらす」ことを内心期待していたし、山本はそう計算していた。

案の定、南雲は「てぬるい」対応で真珠湾奇襲を早々に引き上げた。それでも一応見た目は成果出せた。

そして、空母艦隊での攻撃が「得意になった」と錯覚した南雲は、その後、連勝を続けてさも「成功者」のように見えた。

だが、実際の軍事的にシビアに見た場合、南雲は「いつもミス」っていた。それを山本は知っているんだけど「しかって教育」するのでなく「まあ、まあ」「こういうこともあるさ」って「本質を隠して」「逃げちゃう」んだよね。

ふつうなら、間違いがあったら「間違ってる」「こうしろよ」って指導するのが「教官」の役目なんだけど、山本にとって南雲は「嫌い」なんで「あえて指導しないことで」「死んでもらう」という……作戦をとっていたの。

これ、高度なトラップだよね。

結果的に南雲は、その後ミッドウェイで空母4隻と数百名のパイロットを死なせる「大失態」で「コケ」たにも関わらず、山本五十六は南雲をクビにするどころか「栄転」させて「さらにがんばってね」とやる。

この辺も山本がアホか……最初と思ったんだが「地獄の底までがんばってね」という山本の「巧妙なトラップ」だったと思うよ。

て、南雲は、結果として米軍に奪われたサイパン取り返しに行かされて「ボロ負け」「後方支援もゼロ」になり「現地で切腹自決、部下にクビちょんぱ」で1944年(真珠湾からわずか3年後)死んでしまった。

山本五十六、恨みの南雲を見事に「構造的に処刑した」と思った。

もっとも、山本もその1年前に米軍に撃墜されて戦死しているけど。

ちなみに、南雲らに暗殺されそうになった、井上成美は山本らの「配慮」でわざと、江田島海軍兵学校の校長に「左遷」させ表舞台の戦場に行かないようにしたので逆に戦後まで生き延びたのだった。

そして天才の堀悌一も、戦死せず会社の社長におさまり戦後まで生き延びた。

つくづく思うんだけど、人事って「心」「魂」の領域あるよね。

神様は「正しいことをしよう」という人は「苦難で苦しんでいてもどこかで観ていて助ける」と思った。

■やっぱ、山本、掘、米内、井上らが正しかった
 ここで、分かるように書いておくとこの
「米英のいうこと一回聞いて、軍縮してアメリカ・イギリスとうまくやれや」
と考えていた人間が「どういう生まれ育ち」か見ると「なるほどな」とわかる。

米内光正:うお座海軍兵学校68番。ロシア駐在武官。ロシア語堪能。のちに連合艦隊司令長官、大将。海軍大臣、首相もやる。

山本五十六:おひつじ座:海軍兵学校トップ11番で卒業。アメリ駐在武官ハーバード大留学。その後もアメリ駐在武官歴任。連合艦隊司令長官。大将。

掘悌吉:しし座:海軍兵学校首席で卒業。フランス駐在武官。中将だったが海軍から追い出される。

井上成美:いて座:海軍兵学校2番で卒業。スイス駐在武官。フランス駐在武官。イタリア駐在武官歴任。英仏独の3か国語に通訳なしで堪能。昭和天皇の信頼厚く、帝国海軍最後の大将になる。
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南雲忠一:おうし座:海軍兵学校8番で卒業。海外経験はなし。連合艦隊司令長官サイパンで自決し大将昇進。

どうよ?全然人間スペックとしても当時でもすごいね。掘以外、大将やったし、南雲より全然階級も上なんだよ。

こういう頭のいい人たちが「アメリカやイギリスと戦争するな」って散々反対していた。

で、なかにはこの海軍幹部らを「フリーメイソン」「DSの手先」とかいう「バカ」がいるんだけどさ。普通に歴史調べても「違うだろ」。

そして山本や米内、井上らを信頼していたのは昭和天皇で「アメリカと戦争はやめろ」と思っていらっしゃるわけ。当たり前でしょ。

でも、こうした「本当に正しい事」やろうとした人が……全員「陰謀で葬られて」しまう。そして、日本は一気に「ナチスドイツと軍事同盟締結」「対米英戦争」になるわけ。

で?結果だけど。山本らが散々言ったとおり「もって1年、1年半」程度。最初だけ勝ったように見えたけど1年過ぎてから負けだし、挙句の果てに空母8隻も失い、戦艦大和も武蔵も沈没。

アホな軍人、無謀な戦略と将軍らの戦争で日本は皇室どころか国全体が「ボロボロ」にされた。
最後は本気出してきたアメリカに
 東京大空襲で11万人、焼き殺され
 広島の原爆で14万人、焼き殺され
 長崎の原爆で7万人、焼き殺され
 沖縄で18万人、焼き殺され
 シベリアでは50万人ロシア軍に拘束され、5万人が「凍死」させられた。

第二次大戦で日本の死者数は
260万人~320万人だと。
なのにアメリカで死んだのトータル48万人。

日本はアメリカより人口が少ないのに、戦死者は
アメリカの6~8倍。

アホか?完全ボロ負けじゃん。

あのとき、山本、掘、米内、井上……らが言ったように
アメリカにたてつかないで、言うこときいてご機嫌とってうまく友好関係築いて生き延びたほうがいい」

が「正しかった」のわかるよね。

もし、あの時日本が、米英にたてつかず、ナチスドイツやイタリアと同盟もせず、アメリカおだてて狡猾に立ち回って今のトルコみたいに生き延びたら「連合国側」で、戦後はタイ王国みたいに天皇も明治以来の元首のまま。軍も強大な状態で存在でき、植民地も若干失っても残ったし。国連常任理事国や、安保理事国もやれてただろうね。それこそ、核弾頭も戦略原潜でも原子力空母でも自力で持って君臨していたかもね。

その……大事な地位を「全部うしなった」アホ。

あの戦争で日本は「皇紀2600年以上」の天皇制だけでなく
あらゆるもの失っちゃった。

さらに日露戦争以後持っていた「樺太(サハリン)」「朝鮮半島」「台湾」などの植民地も全部失った。北方領土をロシアに占拠されたり、竹島を韓国に奪われたりすることもなかった。尖閣で中国になめられる事もなかった。

こういうこと。上がバカだと、国が終わる。なくなる……ということ。
歴史の教訓でそれがわかっただけ。
多大な犠牲、死人を出して。

だから、
私が、今、政府のトップや要職にいないで、
ど田舎でうこっけいとメダカの世話している
現状見たら?今後の日本がどうなるか?わかるでしょ。

維新やアホが政党やって、税金で政党助成金もらって、飲み食い女遊びを繰り広げ
堀江や宗男やひろゆきとかが「オピニオンリーダー」やってるようじゃ。

アホとか、下品な家柄が悪い人が上やると「国が終わる」んだよ。

「歴史は繰り返す」

みなさんは、日本、どうしたい?
逃げるか?海外亡命するか?

秋篠宮が小室エージェント送って娘をアメリカに移住させたの
皇室も日本に見切り連れて海外に亡命する準備かもな。

そのあと日本に残るのは回転ずしに指つっこんで笑ってるような「知能低い」連中だろ。あと勝手に移住してきてデカい面する外国人。
天皇ご一家も呆れたんだろうね。

私はそう読みとくけど。違うかな?

(内海君:小市民)