内海新聞のブログ

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公文書のあり方

公文書のあり方

 

武田 宙大

 

 安倍政権になって「公文書の非開示」が多くなった。市民が情報公開請求しても森友・加計問題通して「のり弁」と言われるほとんどのページが真っ黒に塗りつぶされた文書しか出されない。

 国会の「桜を見る会」問題で菅官房長官暴力団関係者と一緒に記念撮影をしていたことが話題となっているが、内閣府の公式行事にも関わらずその参加者名簿は情報公開すらされず、首相および官邸の指示で一方的に廃棄された。

 首相官邸内閣府であり行政機関なので、日々、官邸および各官庁で行われる閣僚や公務員が行うミーティング、打ち合わせ会議の議事録はたとえメモ書きであろうと、録音であろうとすべて「公文書」となり保存・管理されるのは当たり前である。さらに、一般常識としても仕事のプロセスを口頭だけで済ませていたら引き継ぎや正確性に問題があるから「プロセスを書いて残しておく」ことは常識であろう。世間の会社で上司が部下に仕事を指示して「メモをとらない」で、後日仕事のことを問われ「記録(記憶)にございません」と答えたら、間違いなくその社員は叱責の上「職務怠慢はなはだしい」とクビか左遷になるだろう。みんなの税金で動く日本国という組織で働く安倍首相および官邸、官僚も同様である。しかし、それを規定する公文書等の管理に関する法律は罰則がない「ザル法」なので首相の都合でいくらでも捻じ曲げることができるというのがこの問題の本質である。

 今の日本ではライブドアの堀江もそうだが「法律に書いていなければ何をしてもいいだろう」という風潮が顕著だ。確かに日本の法律は罰則がないザル法が多い。でもなぜそうしたのかというと「欧米と違って日本国民は法で罰せずとも自らの善悪の基準で正しい行動を自主的にするし、それに国も期待する」という高い道徳観・倫理観があったがゆえなのである。

 ところが、それを理解せず平気で悪事をする人が国の行政のトップである首相となり、政治を私物化し自ら悪事を税金で行うようになった。組織は上が腐ると下も腐る。安倍首相を見習った全国の自治体の首長、役人、地方議員までが平気で悪事をする世の中になった。

 森友・加計問題を通し、前川喜平前文部事務次官が「行政がゆがめられた」と実情を告発したのは象徴的で「公文書の管理もゆがめられた」。そもそも国家や自治体の行政は国民からの税金によって運営されているのであり、そのお金の使い道は常に国の主権者かつ、企業でいうところの株主でもある「国民」に対してオープンにされるのは当然であろう。

 裏返すなら国民にオープンにできない使い方自体が異常であり収賄汚職を疑うべきでおかしいのだ。それゆえ、そのお金の使い道を検討する内閣府はじめとする役所の会議はすべて公開されるべきであり、ましてや議事録はいつでも国民が閲覧できる状態でないといけない。

 新型コロナの対策において安倍政権は厚労省の専門家会議の議事録を野党議員や医学者から求められても公開しないでいる。厚労省の専門家会議のメンバーは厚労省から謝礼や交通費という税金をもらっている「準公務員」扱いの人間であり、民間人だからという言い訳はきかない。この異常事態は東日本大震災福島原発大爆発・汚染事故の際も起き、国民は公文書に書かれた政府の重大な意思決定を知らされることもなく大量の放射能を浴びて死んだ。同様に今回の新型コロナウイルスでも多数の国民が感染の実態を知ることもなく死んでいる。これはもはや民主主義ではなく独裁国家の所業である。

 今こそ国民は立ち上がり、このような独裁政権を倒し、尾崎行雄の精神を継ぐ者を首相に選び、尾崎行雄が生涯願い続けた「真の民主主義国家」の姿に、この日本を取り戻さねばならない。