内海新聞のブログ

1996年創刊の我が国最初の電子新聞

2147:フィンランドの教育が失敗した理由

 読者の学校の先生Aさんから以下のようなメールがきました。
フィンランド教育の失敗:日本の詰め込み教育はそこまで悪いのか?(社會部部長)
https://m.youtube.com/watch?v=O1y8BTmGvDA
私が印象に残った部分です。

1.自主性に任せると、楽な方に流れてしまい、返って自主性は育まれない。
2.東アジアは詰め込み教育が主流のため、学力水準は高い。
3.日本は、自主学習時間が短いにも関わらず、学力水準は上位に入っている。
4.創造性を育むには知識の習得が重要。自由な活動だけでは育まれない。
5.個人主義が教育現場に浸透した結果、生徒も保護者もモンスターが増えた。
6.フィンランド教育の良い点は、教員の待遇と教育水準の平等性にある。
ただし、学力上位国の幸福度は決して高くないことは、注意するべきだと思いました。

これからは、エストニアの教育にも注目していきます。

■私のコメント
 Aさんの出してきた動画みました。きれいに作ってあって一瞬「言っている人、正確に物事言っているのかな?」って思ったんだけど、この社會部部長って主催者は「セミナービジネス」やっている人みたいで金儲けでこういうのやっていますね。

そして、中の動画の主張がフィンランド教育の理想と失敗を挙げた後から「特定の自分の考えに」「読者を誘導している」印象がすごくありました。

なので、ちょっとこの社會部部長って人、何者か知りませんが?「なんかうさんくさいな」って思いました。

私が「読んだり見て」「ひっかかる」「うさんくさー」って思うの……たいてい真実なんで……読者も、まあ、内海新聞って「偏差値60以上」「社会のエリート層」「セレブ」「富裕層」「医者」「教師」「一流会社のビジネスマン」「経営者」が多いので……こういう「巧みなトラップ」に引っかからないとは思うけど、頭のいい人ほど「思考の迷路」でかえって本質を見失うので……ご注意ください。

社會部部長のこのフィンランドの動画で「うさんくさいな」って感じたのは「日本人は」「アメリカ人は」ってなぜか「国民という枠で教育レベルが決まる」とステレオタイプで論調を進めちゃうところですね。

この人の論調だと「生徒の自主性にゆだねて」「自由」にしたフィンランドは「堕落し落ちぶれた」。詰め込みや受験戦争で鍛える「日本や韓国や中国」のアジア圏の教育は「結果として正しい」って言いたいんだろうね。

いやあ、その結論の仕方も「間違い」だよ。Aさん……こいつのトラップに気づいたよね?先生なんだからこの程度の知的トラップにひっかからないように……お願いします。

この社會部部長は、さも論理的な言い方して
アメリカは優秀だというが」「GAFAが生まれないのは」「日本人は創造性はあるが」「資本がそれを支援しない経済・社会構造にある」という主張も「え?」ってなる。この人も「こうだ」「きめつけて言ってるよね」

まあ、言っとくとさ「こうだ」って決めつけて言うのは「楽」なんだよ。
だって、社会とか人間の問題って「学校の教科ではわからない」「複雑系」なんで……数学でも解けないし。

それゆえ「日本人はこうだ」っていう……いい方って……「楽」なんだよ。
私も楽なんで使うよ(おいおい)……だけど、そう「ひっくるめて」「言っちゃうほうが」「全員思考停止して」「一定の方向に」「誘導できちゃう」のでみんな使うのよ。

このPISAっていう基準?まあ、国際的なものなのでしょう?それで日本は今も世界で「上位5番以内のトップクラス」……それはすごいよね。

私からすると「今の日本人だいじょうぶかよ?」って思うけど、案外だいじょうぶなんだね。こういう学力テストレベルなら……その割には、コメント欄の「アホばっか」「科学も医学もわかってないじゃんこいつら」「維新や堀江やひろゆきの動画で満足している時点でバカ決定だろ」の状態を見ていて「ウソだろ?」って思うんですよね。

エストニアの教育はどうよ?え?ダメだろ
 Aさんが興味を示しているエストニアの教育ってこれ?
エストニア教育クラウド e-School ご紹介

www.youtube.com

 エストニアがEガバメントとかがんばって、ICTで社会経済を組み立てているからすごい……って話?

いやあ、私NTTコミュニケーションズでこういうシステムの提案営業したり、IT業界20歳から現場戦士として戦ってきたので33年やってきたけど「茶番」だからね。

私がこういうシステムを企画・デザインして作ってきた方だから。タコぶりも知ってるし。

エストニアがやってるの、学習塾とか予備校でさっさとやりそうな……レベルの話だよね。単に公立学校の事務管理が……アナログすぎて前世代的だからダメなんでしょ?

「デジタル化」って言い方が、専門家からしたら「やめてくれよ」って言い方なんで。菅のバーコードおやじが古い80年代のキーワードでやったから……河野まで使ってるもんね。

こういう「事務」をIT化したほうがいいよっていうのは、私が30年前から……言って実践して、やってきたことであって「今さら」だわな。

当時も言って提唱して来たけど「スマホタブレットもなかった」「コンピューターのメモリも記憶容量もなさすぎた」ゆえ「実現できなかった」のよ。

たとえば、私が17歳の時でPC使いこなしていた時代、ある日思ったのが「分厚い鉄道時刻表、メモリに入れてPCや端末で使えたらいいよな」って命題だった。

自分で設計してみたんだけど、時刻表のデータを入れる記憶媒体がなかったんだよ。フロッピーだし。当時出てきたのがフラッシュメモリで、それなら入れて持ち歩けると……だけど民生化には遠く値段もめちゃくちゃ高かった。スマホタブレットがなくノートPCはあったけど50万円して重さが5キロ以上あった。なので実現不可能だったんだ。

今はスマホクラウドで「アホみたいに簡単に」「時刻表も」「経路案内」もひけるよね……。それぐらい技術の進歩が必要だったわけ。

あなたのスマホの画面の高解像度って当時はなかったし無理だったよ。米国国防総省の極秘プロジェクトの世界核戦争コントロールパネルの画面の性能でもとどかない「高解像度」だからね。ハイビジョンや4K映しているんだろ?すごいよ。

それぐらいのテクノロジーを今「使い捨てのスマホ」であなた……使ってるわけなんで。スマホの頭脳のCPUだって、我々が大学とかの研究室で「1台200万円」したエンジニアリングワークステーションサンマイクロSPARC(スパーク)とかよりも高性能なんだよ。

1970年代の銀行ATMの汎用機より高性能なものが、あなたのスマホに入っている。

……そういうことなんで、私にはあまりおもしろくない。心配したのはエストニアが「タブレットで完結する学習」を目指していることだね。

これはダメだね。幼稚園、小中学生、高校生「手で文字を書く」プロセスはいるね。

だいたい「テレビを見て覚える」「パソコンで文字入力して画面見ている勉強」って「身にまるでつかない」ね。

これ、心理学とか大脳生理学の連中はどう言うかわからないので、私の持論で言うけど「人間は、目で読んで、声を出して音を出したり、手で文字を書く」ことで「知能が発達」する。

これ、言語学の話になるけど、日本や中国と相反する欧米圏では「アルファベット」による「表音文字」によって言語は「読み書き」される。

いっぽうで中国や日本は「漢字」による「表意文字」で言語が読み書きされる。

アルファベットの世界では「音を発する」ことで単語は認識される。だから英語は「スピーキング」ができないと「リーディング」ができない。

英語の文章を読むときは「声を出して読まない時は」「脳の中で発音しないと」「意味が理解」できないのだよ。

ところが、中国語や日本語は「漢字を見るだけで」「意味が理解」できるので、声に出して文章を読まなくても「文章を見て理解」できてしまう。

さらに日本語は「表意の漢字」と「表音のひらがな」の2つの文字を操って読めるので……「実は欧米人よりかなり高度な」「情報処理」をしているんだよ。

これが日本人の「学力が」「なぜか上になる」原因というか理由じゃないの?って私は思うんだね。

日本人の場合は「見ても読める」「読んでも読める」わけよ。だって日本語の表現って「すごく豊か」だよね。

「漢字」「ひらがな」「カタカナ」「外国語のアルファベット」
今では「絵文字」まで使うだろ?

単純に4~5の「表意」「表音」文字を「組み合わせて」言語を使う……恐ろしい民族なんだ。

こういう点では「かなり器用なことをしている」民族だね。

そういう点で、日本人は欧米人と違って「文字を書く」ことは「平面・二次元」でなく「立体・三次元」的にやっている。

なので「書いて読む」ことを指先で文字を書いてやることで「脳の記憶回路」が機能するわけで、スマホだけやタブレットだけだと「プロセス失う」わけなので……記憶うまくされなくなる。

これが「テレビでクイズ番組見ても」「見た後は覚えていない」「学力も上がらない」わけ。

同様にネットの画面だけみたり、タブレットのQ&Aに答えているだけでは「学力は上がらない」「バカになる」よ。

それをエストニアするんだろ?ダメだよ……結果は見えている。

数学の時間も、うちらは17歳(高2)で大学の微積分をやらされたけど、ノートがA4のキャンパスノートじゃ入らないんだよ。インテグラルとかの並んだ式を書いていくと……自分はB4のスケッチブックで先生の板書を書き写していた。

手で書くということは、文字でもイラストでも「同時に思考もされる」のよ。だから、このプロセスって「すごーく」大事。

2024年のITが蔓延した世界でも「手で鉛筆で」「文字を書く」「絵を描く」って人間の認知情報処理のプロセスとして「ものすごく」「落としちゃいけない」プロセスなのね。

■私はIT・文書処理のエキスパートだった
 私は1980年代、日本で最初に「日本語ワードプロセッサー(ワープロ)」が入って、官公庁の文書を「電子化」する作業をしていた「第一人者」だった。

当時は、欧米はタイプライターでアルファベットだけの表現なのでコンピューター上に文書を置くのは楽だったが、日本語は「漢字・かな・カタカナ・アルファベット混在」だから電子化するのは苦労した。

JISの漢字コード表がようやくつくられたけど、全部は表現できない。それでもビジネスや官庁で使う文書は表現できるのでワープロは流行った。

私は当時、最新鋭で官公庁や企業で圧倒的な地位を得ていた富士通の「オアシス」で高速入力「親指シフト」でのオペレーターもしていた。

その給料でプログラマーより稼げていた。私の打鍵スピードは10分間で日本語900文字以上。話すと文字にできる。

当時公認資格で合格率5%の「日本商工会議所ワープロ検定1級」に合格していた。

なので私の場合、会議録は「PC打ったら」「会議終了と同時に議事録完成」だった。

もともと書道は楷行草で三段持っているので「書くことは普通に得意」だった。
中学の学芸会の垂れ幕、横断幕も、先生に頼まれて私が先生の代わりに代筆していた。

それが最新鋭の「IT」での文書化のエキスパートにもなったので、私は当時いち早く「手帳を排し」「メモはすべてPCに打ち込んで電子ファイルで管理」していた。

最終的には「紙文書のオールデジタル化を目指す」「富士ゼロックス」の子会社でも働いていたので、ますます「紙文書のペーパーレス」「電子化」を追求・実践していた。

その私がいうわけなんですよ。まあ、そういう自分ですら「手で字を書くのは」「何かのサイン程度」であり、今は文書も手紙も年賀状以外は「全部ワープロ」だよね。

自分の場合は「思考もキーをうつ」ことで済ませている。

そう、よく言われるのだけど「武田さんはどうやってこれだけの論文とか新聞書いているんですか?」

私の場合「思って、キーをたたいたら、そのまま文章」になっている。

今もそうだよ。だから、世間の人が「章立てどうするとか」「アウトラインどうするとか」「書いては消して」……ほとんどないんだ。

そのまま本の内容とか、論文の内容とかプリンターみたいに出ちゃうんだよ。

だから、この新聞も「書いた後は」「文字のだぶり」とか「打ち間違え、抜け」をチェックして直す程度だな。

パラグラフとか大幅に変えるとか……めったにしない。

小説もいきなり書けるんだよ。

私の場合「心や頭のスクリーンが」「映像・立体的」で「マルチウインドウ」なんで。

頭の中で「考えたり」「思うと」「ハリウッドのVFX映画」みたいに「ビジョン」が写るのね。複雑なメカニズムとか、システムも頭の中で設計できる。

だから、高専入って授業で「製図」やったけど「なんで図面にする必要があるの?」って思ったよね。

いちいち図にしなくたって頭の中に入っているからね。

話飛ぶけど、「運慶」知ってる?平安・鎌倉時代に「仏像」を手彫りで作った超天才芸術家だけど……彼も「頭の中で複雑で精密な像」があって「設計図なしで」「いきなり掘って作り上げていた」彼の仏像……見るとわかるけど「位置づれなし」「完璧」にできている。

そういうものなんだ。あー、「そんな能力私はないです」はい。あなたは正しい。

これね、残酷な話なんだけど「超能力」なんで。私の先生が東大出の心理学者だったんだけど、私がこの話したら「それ、100人に1人いるかいないかの能力です」って言っていた。

だから、私の場合ソフトウェアのプログラミングをしている際も、あんまりキーはうたないんだよ。まず考えているね。頭の中でプログラム全部書いているので……。それゆえ「席に座って凍り付いて動いていない」と思われたりする。

思考のために、キーをうつけど大部分はアルゴリズムを考えて、頭のなかで変数やデータをいじってる。

できてOKなら、コードをうちこみだすね。

フィンランドの件、どう武田さんは思いますか?
 まあ、簡単にいおうか
「自由は責任が伴う」

「責任を全うできないものには自由はない」

「自由ほど、難しいことはない」

「自由は、自分が自己完結した人間でないとムリ」

オタキング岡田の不都合な真実
そういうことだね。あとね、オタキングの岡田の動画が面白かったんだけど
★教育や環境は「頭の良さ」とほとんど関係ない!?「言ってはいけない」遺伝のタブーを暴露します【岡田斗司夫/切り抜き/サイコパスおじさん】

www.youtube.com

「知能とか学力は、努力は関係ない」
「遺伝で決まっている」
「小学生前半までは、学校や塾などの枠組みや、強制的な授業は効果があるが」
「小学生後半から、中高以後は、親の知能が遺伝として発現するだけで、実は学校教育が努力してもそいつの学力や知能は上がらない。天井うちだけが露呈する」

うわー、恐ろしい「優生学」そのものの結果が……出ているんだよね。

これね、深刻だよね。だって日本の教育界、先生方も「努力すればいいんだ」「粘るんだ」「勉強しろ」って……やってきて、それなりに効果あったと……「思い込んでいた」「幻想」だった。

本質はえぐいんだよ。「先天性で決まっている」

これ言っちゃったら、誰も学校行かなくなるし勉強もしないわな(笑)

■習い事や勉強で上達する人の特徴
 ただ、私は習い事、学校両方で優秀だったので経験則で言うと
「自分はバカだと思って素直に先生の言うこと、言うとおりに習って実践したほうが上達は絶対早い」

「自主勉強はダメ。鬼教官で嫌な内容でも食べる強制力でやってもらったほうが」「最後は絶対いい」

「生徒に甘い先生、迎合的な先生は、生徒も学校側も両方いい結果にならない」

「生徒にうらまれても、厳しい先生のほうが」「人生の最後は感謝される」

親の子供への教育も一緒なんだよね。

やっぱ「言うこと聞かなければ、おしりペンペン」「えーん」
のほうがいいのだよ。

それ、パワハラとか、虐待だと言っちゃって「ダメ」てしたら
フィンランドになる。

よくさ「論理的に話せばわかってくれる」「殴る必要はない」とか
言うんだけど、それ左翼の人は好きだよね。

だけど、その……左翼の人のあなたの子供とか、どう育ってる?
「万引き、売春、麻薬、犯罪で親を泣かせている」

学校の先生の子供とか、医者の子供とか、学者の子供すら……「社会逸脱行為でお巡りさん」「どうしよう」って相談してくる……わけよ。私に(泣く)

「生徒にやさしい、迎合した教育は」「結果として、生徒をダメにする」と
私は思います。

■教育は厳しいほうがいい理由
教育は厳しいほうがいいのね。

武道「和良久(わらく)」の前田比良聖(まえだ ひらまさ)先生がおっしゃっていた「けいこに厳しさを課す意味」が「ある面論理的に正しい」よ。
http://www.walaku.com/
それどういうことかというと、前田先生は「空手」の達人であの芦原空手の師範なので「格闘技」の世界が長かったわけです。

「ふだんのけいこを先生が言った100%やりました……ではダメだ。なぜなら実際の試合では緊張やストレスで普段のけいこでやった能力の80%しか出ない。

じゃあどうするか?けいこのレベルを100じゃなくて120%やれば、試合で減衰しても100の力が出せるということです。

試合の相手が100で満足しているなら、自分は120、相手が120でかかってくるなら、自分は140に自分を追い込んでけいこする。そうすれば現場で能力がダウンしても勝てる」

……なるほど。その通りなんだよね。試合やコンクールで「勝つ」ためには「自分の気の弱さ、迷い」に「勝たないと」いけない。負ける原因の本質は敵にはない。自分にある。

私はピアノやブラスバンドの演奏で、多数の聴衆がいる演奏会でも演奏していたけど「観衆前にして」「暗譜した楽譜を忘れたり」「思った音が出なかった」ことが何度かあった。弾けなくて恥かいたこともある。

へこんだけど「次はどうする?」って考えて

そのとき「けいこが足りないね」「安心するためには」「もう、気が落ちても手が動いているレベルまで」「けいこを追い込んで」「自分を強くしないと」いけないんだと思った。それが解だった。

「演奏時にあがって」「ミスをするのは」「けいこが足りないのだと」

これ野球とかスポーツ選手の「スランプ」の時のアドバイスでも言っているね。「けいこが足りていない」「だから、安心できていないから本番で負ける」

勉強の世界も同じなんだよね。やっぱ自分で「心を鬼にして」「嫌なカリキュラムも」「つっこんで」「ものにしていける」だけの「心が強い人」なら……フィンランド式の「自由」「自主性」の勉強の場では「大成」できると思うんだけど、そういうやつって、人間のヒエラルキーのうちで「偏差値65以上」の「ひとケタ」の「天才級」の人間だけだね。

あとは「なまけたり」「心が弱い」ので「逃げる」よね。そういう人は「自由学習」は実はムリなんだよ。

やっぱ「強制」「ストリクトな鬼教官」が必要なんだ。

だから、そういう点では「軍隊教育が正しいのか?」ってまた、命題に戻るけど。
まあ、偏差値60未満の「圧倒的アホ」の場合は「必須」だと思うよ。

だから、しょうがない。そういう点では。それが学校なんだから。

うちの料理学校でも「レポートは自主的に」しているけど、自覚してちゃんとやる優秀な人は言わなくても「毎月律儀に」データもとって送ってくるし、「怠惰な人」「なめている人」は「口だけ」で何も送ってこない。

だいたいさ、俺が「レポート出せよ」なんて「命令」している時点で、そいつ……終わりだろ?いくら言い訳しても、ダメなんだよ。そういう人は……。

はっきりわかるから。

私は自分が「自由」が好きなので「その人の意志」「意欲」を認めるほうなんだけど、肝心のそいつが「なまけたり」「難しいテーマから逃げる」という「心の問題」「精神の問題」がその人がダメになる最大の原因として大きいと思っている。

ごはんと一緒で「苦い食べ物」でも「我慢して食べることが」「身体にとっていいのだ」が、学校教育でもあてはまるよ。

さらに、実社会の仕事の現場でも同じことがいえるね。

■学校が心を教育しない以上は行き詰まるだけ
 この分野になると、今の文科省学校教育やテクニカルな塾とか予備校の範疇を超えた「宗教とか哲学」の問題になるんだよ。

だから、今の学校教育の致命的な問題点は「塾」に象徴される「教育のテクニカル」な部分ばかりが論じられて、生徒の「心」「魂」「精神」をどうするか?という「心の教育」がごそっと抜け落ちていることなんだ。

本当は仏教の僧侶とか、キリスト教教会の牧師がすべきなんだろうけど、彼らが「腐って」「アホ化」してるんで、できないよ。彼らにも。

それができるのは、私だよ。

「すべての学問を網羅してIQ800で、さらに宗教も超越している超能力者」
こういう人間が、生徒の教師として接していなかったら

フィンランドだろうが、日本だろうが、教育は……失敗する。
そんなとこじゃないの?
(内海君:小市民)