内海新聞のブログ

1996年創刊の我が国最初の電子新聞

2125:職人と徒弟制度

 ホリエモンが寿司職人を「あんなの学校で教えればすぐできる」とバカにして、なんちゃってパン屋ビジネスやってるけど、長年SE/PGという職人をして自分でDIYでリフォーム内装工事、普段から車のメンテナンスをして技術の世界に接している自分としては……「クズ」だと思います。

家系が建築・土木の技術者・医家だったのもあるけど、53歳になってますます「AIやロボットと生身の人間の違い」を理解するようになりました。

夜ユーチューブの動画見て、いつの間にか眠っていてふと目が覚めたら流れ続ける動画がいつのまにか以下の動画を出していました。

毎度なんですけど、神様が私に「見ろ」ってやるんだよね。いつもそうなんだ。こっちが希望もしていないのに流す……。
★【Mr.サンデー】天才・三國シェフ物語“人生突破術”【リアルストーリー】

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高級フレンチの「ミクニ」のオーナーシェフ三國清三さんが、料理人としてどういう人生を歩んできたのかをドキュメントしたものです。

びっくりした。私の魂に「がつーん」って響いた。彼の生きざまを見たら、ホリエモンなんてカスだなって……。

ほんと。三國さんすごいわ。

■下積みはムダか?
 大工さんなんかも、昔は「恐ろしいほどこき使われて」「単純作業ばかり」のように、中卒や若い人に「最初から技術をなんでも教えない」ですよね。

こういうのを「徒弟制度」って言います。でっち、弟子……。

今だと「パワハラ」とか言うんでしょ?駄目だね。

どの技術職の世界でも「厳しい」「親方から怒鳴られる」なんて「当たり前」なんですけどね。

三國さんもぼやいていたけど「真剣なんで怒鳴るんです」
そのとおり。三國さんは悪くない。周りがアホでレベル下がっただけです。

前回「ソ連初の宇宙飛行士ガガーリンがいかに世界最初の宇宙飛行士として鍛えられたか?」書いたけど……「厳しい」んです。

クソロシアって、バレエやピアニストは世界一流ボコボコ出すけど、調教は厳しいでしょ?ああじゃなくちゃ……一流にはなれないし、伸びないよ。

うちの妻も嘆いてるけど「今どきの若い子」「心がおれましたー」「バカじゃないの?」「ダメだわ」

その通りです。私が接していても、今の若い子は「生意気なことは言うんだけど」「本質はできていなくて」「いざ」「私が本腰入れて対応したら」「言い訳言って逃げ出す」のが多いです。

すんごい「甘ったれた」人が増えた。なんで、私も教室系やるのがおもろくない。

公文とか塾とかFラン大学ですか?「カルチャースクール的なアホ大学」で「先生が生徒に迎合した学校」ばっかでしょ?

「生徒にやさしい言葉をかける先生がいい先生……」勘違いが増えた。

先生も厳しく指導したら「パワハラ」ってバカ親が教育委員会に怒鳴りこむから委縮してやらなくなった。

私に子供がいたら習い事も学校も「先生、きびしくお願いします」って子供を逆に厳しい先生のところに放り込むわ。それこそが真の愛情です。

心地よい言葉だけで甘い先生について損をしたのは「生徒」「学生」のほうです。甘やかされて育つ。結果として「なまくら」になる一方。

意味ないです。学校とか教育って「その子がきちんと立派に育つために」「熱い鉄をたたいて矯正する」ところに意義があるので。

間違っていたり、勘違いしたり、有頂天になって心がひん曲がっていることを「びしっと」正さなければ……その子が逆にダメになります。

アメリカ軍が世界で最強なのも「ストリクト」な「教育システム」が体系だって構築されているからです。

アメリカの場合は「システムを厳しく」して、「選別」されるようにしてあります。あの辺はすごいと思う。

日本の場合は「親方と徒弟の弟子」という「家族的な関係」で一人の人を長年にわたって養成する仕組みなんです。

時間はかかるし、つらい日々が続くけど……しがみついて「なにくそ」ってやっていったらちゃんとその分、成果が出てくる。

そして、技術というのは「字のマニュアルにしたら全部伝えられる」わけではないのです。

この科学技術の世界でも「字やマニュアルだけでは全部を伝えきれない部分がある」ことは、現場一線のエンジニアや科学者なら理解していることだと思います。

一例をあげると「ジェネリック医薬品」の話がそうです。「成分」「製法」が明記してあっても、実際はメーカーによって「品質」「微妙なニュアンス」が違うわけです。

それは各製造メーカーの製法、プラント、ラインには「現場技術者の」「マニュアルや設計図にない」「知恵」「ノウハウ」が埋め込まれるからです。

「設計図」や電子回路図は「論理」は表現できるけど、「実際の実験科学で遭遇する」「誤差」「ゆらぎ」「想定外」は表現できない。

原発も同じですよね。

それを無視して設計図やマニュアルだけで、その人たちから奪い取っていきなり自分がやっても「うまくいかない」「事故ったり」「壊れる」のです。

小林製薬のポカした「紅麹」がまさにそうだった。

私はコンピューターのプログラミングの世界で10歳からやっているから、43年プログラムを組んでますが……こういう本質は同じなのです。

ITのシステムは設計図やマニュアル……ありますよ。PCだろうが、ソフトウェアだろうが。あー、マイクロソフトやデータベースのオラクルだろうが「分厚い数百ページのマニュアル」が何冊もあるけど……それは、現場で仕事をする際ほとんど役に立ちません。

うちらの世界では、現場でそんなのばかり頼って作業している人は「すぐできなくなり」「わからなくなり」「脱落」「クビ」になります。

なぜって?マニュアルも設計図も「肝心なことは抜けているし」「それ自体もバグで間違っている」からです(大爆笑)

じゃあ、製品を作ったマイクロソフトやオラクルのサポートセンターが役に立つか?おざなりでさほど役に立たないです。ちょっとした参考にはなっても、現場の問題や仕事を解決することはできない。自分でやらないといけない。

つまり、職人としての「現場での経験値」「困難やトラブルでの対応で得た自分の体験」がモノを言う。

そういう点で「下積み」ってプロセスは「単調な仕事に関係ない仕事を延々とさせている」と……初心者は「勘違い」します。

「ていのいいように使われているんだ」と。

私は違うと思います。確かに最初はそう思うでしょうね?でも、あの動画で三國シェフは中卒で貧しい漁師の家、学校すらロクに行っていない……立場から、「魂の感動」で「当時は入社も難しかった札幌グランドホテルの料理人」になるわけです。

私があの動画を見て、感動したのは(久しぶりだわ)、16歳の三國さんの「料理人をやりたい」という真剣な目に、ホテルの料理長が「厳しいハードルで」「育てて」いくことです。

料理すらしたことない三國さんが最初にやらされるのは、厨房の鍋釜を毎日ひたすら大量に洗うことでした。

今の時代だと「何も教えていない、教科書も指導もない」って生徒さんは言うんだろうな。そういうのは「アホ」ですね。

与えられた目の前の仕事を、まずがむしゃらにやる。でも、三國さんは「不平」どころか「厨房全部の鍋釜を洗わせてください」と「人の何倍も」「志願して」「やるわけ」です。

この根性がいいね。今どきの若い人にはこういう「ガッツ」がないもんね。
「心がおれました」こればっかでしょ?ダメだわ。

彼は辻調のような料理学校すら行っていない。でも「肌で」「現場で」「学び取る」「耳学問」「聴き学問」するわけです。

これが実は、職人の第一歩なんです。テキストじゃないんですよ。

そう、彼はふつうの人なら「苦痛」「くだらない」と思う「料理人の鍋、かま」を洗う。フライパンを洗う、そのたびに「残ったソース」をなめていたそうです。

そうやって「味を覚える」「どうやって」「こんな味を出しているのだろう?」そればっか考える……。

そうすることで、自分がいざ包丁握って料理を始めたときに「こうなのか?」「どうすれば?」って思考が常に行われる。

この繰り返しで、三國さんは「どんどん」「ぐいぐい」料理を覚え、上達していくのです。

16歳……こんな子が熱心に、高いハードルでもくじけず、ひたすらついてくる……周りの大人の調理師らも「おもしろいやつだ」「かわいいな」って可愛がってくれる。

この「大人や目上に」「かわいがってもらえる」という態度や、行動、言動は……すごく人生で大事なのです。彼はくだらん、鼻だけ高い四卒や院卒より「成功の王道」を肌で知っていたんです。

それは大きい。

そして、札幌グランドホテルの料理長は彼を自分のところでなく、当時は日本で最高峰の帝国ホテルの村上料理長に紹介状出して送り出すのです。

うーん。すごいです。

帝国ホテルでも村上料理長が三國さんに課すのは「また皿洗い」「鍋かま洗い」パートでしか雇えないと。

なのに、三國さんすごいのは「またやる」ことです。文句言わずね。そして帝国ホテルの全部のレストラン18軒の鍋も釜も洗わせてくださいと……。

いやあ、観てて感動したわ。今どき、こういうこと言える若い人いないもんね。
根性なしばっかだから。

で、パートで終わるかと思ったら、村上料理長は「うちでは雇えないけど」「スイスに行きなさい」「10年戻ってくるな」「そこで稼いで、お金を自分に投資しなさい」「ヨーロッパの芸術や文化に親しみなさい」となんとジュネーブ日本大使館の料理人として送り出す。

これ……哲人教育しているんだよね。その辺の公文や塾とかアホ大学の域を超えてるわ。

「一人の人間を」育ててるんだよ。

しかも、いきなりハイレベルな日本大使館の専属料理人になって、スイスでアメリカ大使のもてなしをしたのに、アメリカ大使から「素晴らしい料理だ」と激賞される。

三國さんは、裏でアメリカ大使が好きな料理のメニューをつくっているフレンチの一流どころに駆け込んで「学ばせてくれ」って、見よう見まねでマスターしてしまったと……。圧巻だね。

そして、三國さんはフランスの一流の三ツ星レストラン、フランス料理界の巨匠ジラルデに「働かせてくれ」と、「帰れ」と追い返されても、店の前に1日座って待つ……「根性あるな」って「だったらやってみろよ」って、またやる。

ただ、三國さんはそのジラルデから「紹介状」をもらうまでになる。三ツ星レストランの一流のシェフからもらった紹介状があるだけでフランスのレストランで雇ってくれる。

そのパスポートを手にして、またフランス料理界の巨匠シャペルに弟子入りするわけです。

わらしべ長者」の階段を上がっていくようなドラマでしたね。

スタートは北海道の貧しい漁師で中卒なのに、それを乗り越えて、世界のミクニになる。

どうでしょうか?ホリエモンが言っていたことが「クズ」「カス」だとわかったでしょうか?

あんなの信じてついていかないことです。

本当の人、本物の人生を歩んでください。

若い人へ。

■私はどうだったか?
 私は長いプログラミング人生で、何で学んだか?実は、自分の場合、専門書は買いません。コンピューターの本、とくに技術系の本は1冊が5000円以上当たり前なんです。しかもすぐ陳腐化する。ゴミになる。あんなの揃えても意味ないです。

実はコンピュータースクールも小学生時代NHKがやっていた「パソコン教室」夏休み1回行っただけです。

あとは、コンピューター雑誌のプログラムを読んで入れて動かしたり……ですね。

なので、ITのトピックやプログラミングを学ぶ場合は新宿の紀伊国屋書店ジュンク堂書店に行って「パラっと数ページめくって」読んで終わりでした。長時間立ち読みはダメですから。でも、最近はジュンク堂TSUTAYAは買わずに座って読んでもいいサービスになってすごいですね。ありがたいことです。

あとは、他人が書いたソースコードを解析して「どうやってるかな?」だけです。

17歳の時、裏千家の茶道を志願して始めました。でも、茶道の場合は「マニュアル」ないです。

先生は「マニュアルや本を読んでいてはダメです」っていつも話されました。

ひたすら、先生やお弟子さんがやる所作、しぐさを観察して「自分のもの」にしていくのです。

そこには「右手を90度曲げて3センチ動かす」とかやりません。マニュアルだとそうなる。

茶杓(ちゃしゃく)や、袱紗(ふくさ)の所作……優雅に曲線と「ゆらぎ」の微妙な間合い、動かし方があります。マニュアルでは書けません。

家元と先生でも違います。

それを自分の目で見て「こうか?」「なんでこうなの?」って自問自答しながら毎回学ぶわけです。

今はビデオや動画が簡単にとれるので、それを見たらいいでしょうけど。それだけでも全部は無理でしょう。

先生の全部を見ていることはできないから。

武道も一緒ですね。先生、師範の「正しい型」「洗練された動き」を目でたたきこんで、ひたすらまねて行く……。

私は、それを文句も言わず、ひたすらやる。

他の人は、飽きたり「いつになったら中身があるのやるんだよ」って不平を言い出す。

私は、そんなこともたまには思うけど、ひたすらやり続ける。

茶道を始めて、私は数年間、平点前(ひらでまえ)しかやっていなかった。私の先生は裏千家の名誉師範で、弟子が「各自先生」だった。

ある日、弟子のひとりに「自分、ずっと進歩していないですね」と聞いたら
「いえ、昔は、平手前で10年ぐらいやらせていましたよ」
って言われました。

くだらないように見えて、単調な作業、プログラム……徒弟制度には必ずあるんだけど。先生やマスター、師範がそれを課す「真意」を理解できない「アホ」がホント多い。

剣道もそうだったかな。私のいた道場では「基本所作」だけひたすらやらせる感じでした。でも「型がきれい」と言われていました。

お茶もそうだったけど、別の先生に習う大学教授の先生と一緒に茶会しました。
教授の先生は学者なんで「毎回、けいこの手順を丹念にメモとって」いました。

「内海君はメモとかノートしないの?」
「しません。先生にもするなと言われているので。」

私がお点前(おてまえ)した後、教授が言いました。
「内海君、所作がきれいだね」
「そうですか?」
「マニュアルの人は動きがカチカチになるんだよね。でも、内海さんのお点前は動きが滑らかにシームレスで美しくなっているね。」
彼はそう言っていました。

そういうのが「机上の本の技術」と「現場で肌で学んでいった技術」の決定的な違いなんです。

「空気」「間(ま)」って……マニュアルには表現できないのです。

料理もそうでしょうね。今、自分で料理もしていますが「包丁さばき」「鍋の振り方」……それを見ただけで、フランスの一流の料理人は「あっという間に」「そいつのレベル」を「見抜いてしまう」と……三國さんはおっしゃってましたが、そうだと思います。

堀江にはそういう人生の本質……永久にわからないでしょう。

■お偉いさんと知り合いになりたければ
 まあ、人生のテク少し話そうか。

三國さんも同じだったな。「一流の先生」「一流の場所」を選ぶ。
そして、志願して突っ込んでいく。

そして、自分を「一流の場所」「一流の人脈」のそばにおく。
そうすると、自分が磨かれ、あらゆるチャンスも引き寄せられるようになります。

もし、あなたが人生で成功したい、成り上がりたいと思うなら
すなおに私のやったことをまねすればいい。

でも、こういう話をしたとき、中卒や「自分はバカです」って謙虚な人は
やるけど、大卒や院卒は「くだらねぇ」ってバカにしてしない。

そこが運命の……分かれ道かな。

私の場合「手紙」書いていました。

たとえば、荻窪の古本屋で短歌の本を拾って、その著者に「とてもよかった」って感想を手紙を送っただけです。

そうしたらその方もうれしかったようで、文通できてお会いすることもできました。読売新聞の編集委員の奥様でした。そのあと夫婦とも仲良くなり、絵を描く方なので銀座の画廊の個展にもいつも行っていました。

小島先生の時もそうだったかな。日経の本を読んで著者の日経の編集委員だった齋藤志郎先生に「この内容についてもっと知りたい。勉強したい」と手紙書いて出したら、「会いましょう」って返事来て、それで先生の研究室を訪問し懇談して小島慶三先生のことを教えていただいたわけです。
 私は小島先生の著書の感想と自分の考えや思いも手紙にして議員会館に送ったら、後日秘書から電話がありました。小島先生が「話したい。自分の勉強会にも来なさい」ということでした。
 私は小島先生が主催する官僚と一流企業の経営者が学ぶプライベートセミナーだった「小島塾」に招かれて参加するようになりました。

私は18歳の時点で富士通オアシスのワープロのオペレーターで日商1級(合格率5%)のタイピングとデジタル編集能力がある職人でもありました。
官庁や、シンクタンクの報告書を多数つくりました。
その技術力で小島先生のニューズレターも全部つくってボランティアして支えました。

私は、多くのNGOやボランティア団体のため「下積み」「縁の下の力もち」の地味な事務の仕事を引き受けてやりました。

そのあと原丈人さんの事務所でも毎日通って秘書代わりに仕事していました。
ある日、原さんのシンポジウムの会場の配布資料を大量にコピーしてホチキス止めする作業がありました。

原さんは慶應スタンフォードが根城なんで、慶應の院生がバイトで来て一緒に資料をつくっていました。

私は人生がそうでした。いつも偉い人の傍らで地味な仕事をして支えていました。だから苦でもなく、面白かった。

でも、慶應の若い子は私にぼやきました。
「こんな、単純な仕事させて何も意味ないですよね?」
「そうですか?」
彼には、人生の本質がわかってないようです。
(内海君:小市民)