うーん、もう世の中腐りまくりだ。
京都にいたとき、よく泉涌寺に行った。みんな東福寺に行くので……それでいい。
分かる人は泉涌寺に行く。
そこに孝明天皇のお墓(陵)がある。誰も来ない。てっきり右翼の幹部とか、自民の右翼議員とかが来て「直立不動敬礼」でもしているかと思ったが……誰もこない。つくづく日本の右翼は「エセ」だと感じた。
私のほうが本当の右翼をやっている(笑)
私の場合、墓に行くと、そこの人と話すことができる。なので孝明天皇ご夫妻とよく話した。
孝明天皇のお姿は30代ぐらいなのだが、とても頭がよくて偏差値でいうと70ぐらいあると思う。正義感が強い。
下鴨神社にもよく参ったがその際、突然、お姿が現れて……白い神官の装束だった。「勅命だ」と私におっしゃった。孝明天皇は今の世の中がおかしくなることを本当に憂いておられた。
孝明天皇とお話ししたとき幕末の「攘夷」の話をされた。意外だが、幕末の攘夷運動で孝明天皇はその首謀者とされているようだが違う。実際は「よはそこまでするつもりはなかった。よをかつぎあげ、攘夷、攘夷と言っておきながら、いざ、本当の話になってきたら、そのものが梯子を外した」裏切り者がいた。天皇でもない変なやつが孝明天皇をかつぎあげて動いていた。
おまけに「よの子は、産まれるたびに女官らにあずかられては次々死んでしまった」と嘆いておられた。孝明天皇の実子は殺されてしまったという。
実際、孝明天皇の墓のそばにひっそりとお子様らの墓がある。
孝明天皇の后は
である。英照皇太后のお姿も出てくる。妃らしくきりっとして知性がある。藤原の公家の娘の品格と風格と備えておられる。
ある日、私は孝明天皇陵を訪れた。嫌な光景があった。
陵墓の前の広場の一角で、団塊の世代のジジババが4人ぐらい座り込んで弁当や缶詰を広げたり酒を出して「花見の宴会」をしていた。服装がハイキングの格好だ。京都を物見遊山できて天皇陵も「レジャーの観光ポイント」とばかりの態度だった。彼らは陵墓に一礼やお参りすらしていなかった。「誰もいないからここで食べるか」ぐらいでそんなことをしている。
団塊の世代の人間って本当に嫌なんだ。何人見ても、会っても「クズ」ばかり。
「カネカネ」「ゼニゼニ」「モノがないと心配」……異常なんだよね。人間として。
そのくせ「ご利益」「商売繁盛」「祈願」と神社仏閣へ願掛けには殺到する。
私は神社や寺をお参りするときは参道や境内のゴミを見つけたら1つでも拾って帰るが、彼らはそんなことしない。「ご苦労さま」と自分は声だけかけて帰っていく……クズ。
自己欲のためだけに宗教は使う。
戦後の廃墟、バラック、ゴミをあさって生き延びたから……今の物質文明を第一にするのだろうけど……「人間の心」「たましい」「自然とのつながり」……全部「捨てる」
ブルドーザーで野山を破壊し、神社や寺を顧みず粗末にし、日本人としての本当の文化や精神を全部捨ててきた。それが……団塊の世代。
だから、この今の老年夫婦どもの所業を見たくない。それをまた、見てしまった。
……ありえない。あのう、人様が眠る墓地で縁も関係もない人が「公園代わり」にそういうことを……するものでしょうか?
こんなの、右翼や左翼の問題以前に「社会常識としておかしい」のではないでしょうか?
下品もいい加減にしろ。これ、江戸以前だったら「即座に斬られますよ」。もっとも江戸の人はそんなことしないと思うけど。
今の社会っておかしいよね。なんでも自由。でも自由は責任をとるものにだけ許されるべきだ。無責任で自分勝手な連中に自由を認める必要があるのか?
さしもの私も、怒って、この「ジジババ」どもに「こら」って怒鳴りそうになった。
私はふと孝明天皇の陵墓のほうを見た。
「みかど、これは、おかしいです。私は許せない」
すると、英照皇太后の声がした。彼女は微笑さえしておられた。
「内海さん……いいのですよ。いいじゃないですか。みなさん楽しまれれば」
このクソ連中の蛮行を前にしても英照皇太后は眉をひそめ、いぶかるのでなく「優しかった」
……今の安倍政権の面々にはまるでない「人格者としての声」だった。
上にたつもの、みかどとしての地位にあるもののふるまいとはこういうものなのだと、私は時空を超えて……教えられた。
天皇陵の前で宴会した団塊の世代の彼らが去ってから、私は、美しい松と、木々に囲まれた陵墓を後に歩き始めた。すると英照皇太后がこうおっしゃった。
「内海さん、国民のみなさんに、本当の皇室の姿を知ってもらってください」
それが、孝明天皇ご夫妻の強い願いであった。
世間の人は、やれ、左翼にせよ「天皇は戦犯だ」「処刑だ」「いらない」という。まあ、第二次大戦の日本のボロ負けのひどさを見れば、それもいたしかたない。
いくら正当化しようと、あの戦争の最高責任者は誰かといわれれば天皇になる。
東条が指揮しようが、財閥がクズなことをしようが……大日本帝国の元首は天皇だ。
でも、われわれは、本当に悪い人を断罪したのか?
そいつらは、戦後も生き延びた上に、自分たちの罪を償うことや懺悔することもなく、再度悪事を続けて行った。
中曽根康弘は海軍の経理係程度の人間だった。一度もピストルも機関銃もうたず、事務員だった。特攻もしなかった。そんな男が右翼保守の総本山面して政界に影響力を誇示した。
私が関わった、最後の海軍大将である井上成美は戦後、在日米軍横田基地から「顧問になってほしい」と再三言われたが固辞した。すべての名誉も地位も捨て、横須賀の長井で隠遁生活をつづけた。
「自分の部下が死んだのは俺の責任だ」「悔やんでも悔やみきれない」と一生をボランティアの英語塾に使った。中曽根や下士官程度の人間は企業の顧問や経営をしてお金を得られたので、井上大将なんか引く手あまただったが、全部断った。
生活に困窮して私財を売り払い、奥さんの反物も質に入れ、これが帝国海軍の大将の生きざまかと思うほどの状態だった。部下らは戦後、商売をして成功して経済的には楽をしていた。
でも、自分は最後まで「最高司令官としての責任」をとった。
中曽根と大違いだということが……わかると思う。
今、私が思うのは
「日本がおかしいのは、本当に勉強して、本当に知性高く、正義感もある上に立つべき人が片隅に追いやられ経済的にも困窮し社会の表舞台に立てない。いっぽうで獣のような知性の低い下品な連中が上から下まではびこってやりたい放題ということ」
である。
だから孝明天皇ご夫妻の意思
「本当の皇室の姿をみんなに知ってもらってください」
というおことばには深い意味がある。