内海新聞のブログ

1996年創刊の我が国最初の電子新聞

宗教や社会主義では世の中よくならない

私は12歳で「世界から戦争と公害のない社会をつくる」という決意で、今日まで活動してきた。39年かかっている。

残念ながら、2022年7月16日現在、世界は第三次世界大戦に突入している。

自由とか平和、民主主義って「あなた一人一人の不断の努力」がないとたちまち壊れる。そういうことだ。

これから、世界情勢はどんどん悪化していき、我々が築いた第二次世界大戦以後の70年の平和は「つかの間の休息」だったことを理解するだろう。

 

■公害

私は小学生の時「4大公害」の話を小学校の図書館で読んだ。「水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」「第二水俣病」。ひどいものだった。

川は汚染され、どぶ川になり、魚も鳥も、どうぶつも、植物もダメにされた。

きれいな清流は飲める水ではなくなった。

かつての日本は、いたるところに田んぼや畑があり、カエルがいて、小川にはメダカ、フナ、清流にはヤマメやアユが自然に住んでいた。

 

でも、それを破壊してきた。

福島や宮城のほうの海岸は白い砂浜もあって、歩いたら「キュッキュッ」て音がする「鳴き砂」の浜だったけど、土建屋がブルドーザーで掘り返して金儲けで売ってしまった。コンクリートの護岸と防波堤で埋めてしまった。

砂浜は鳴かなくなり、生命は死に絶えた。

 

私は東京都武蔵野市で生まれて育った。小さい頃は仙川や玉川上水にクラスメートと入って、ドブの中を歩いてザリガニ取っていた。川ってそういうものだと思っていた。

東京都も羽村を越えて秋川に行けば、清流はあった。

だけど、そのためには朝5時に中央線に乗っていかないと行けない遠さだった。

多摩川に行って是政でコイを釣るけど、川はドブで腐臭が漂い、取れたコイは臭くて食べれる代物ではなかった。

 

■戦争

小学生の時「戦艦武蔵」「戦艦大和」「東京大空襲」の戦記物をよく読んだ。大和の艦上で兵士が米軍の猛攻撃で肉片になって飛び散り甲板は血の海になった。東京大空襲で下町や23区は米軍の焼夷弾で周囲から燃やされ、みんな焼け死んで隅田川とかに「熱いよ、熱い、助けてくれ」って住民たちがやけどしながら飛び込んで死んだ。川には死体がいっぱい浮かんでいた。

 

……こうした話を小学生の時読んで、毎度、泣いてばかりだった。

どうしたら、戦争や公害のない社会ができるだろう

小学生の私は一生懸命考えた

中学生の時、進路をどうしようか考えた。

「自分が霞が関の役人になって、世の中を変えればいい」

「自分が国会議員になって、国会で世の中を変えればいい」

「自分が国際公務員になって、国連で世の中を変えればいい」

 

……でも、当時もすでに、自民党共産党みたいな左翼がいがみあい、こうした問題を解決するどころか、関係ない方に向かうだけだった。

また、戦争や公害は「大企業」「大資本」がやっていることも理解した。

 

「結局、自分が議員の一人になっても、世の中の大きなうねりは変わらない」

それで、私はさらに考えた。

「でも、大きなウェーブを変えることは別にできるかもしれない

それは「世論」を変えることだ。

「確かに、世の中の人の意識を変えて、正しい方向に向かわせることは、とてつもない努力や忍耐、地味な作業だけど、その「底辺」を変えれば、きっと大きな平和や幸せが訪れるようにできる」

 

それで、私は「世の中の底辺」を変えることに自分の人生を費やすことにした。でも、困難な作業だった。

 

実際、世間のマスコミは本当の話や、真実は伝えない。都合が悪いことは隠す。

この内海新聞は、私個人の「壁新聞」である。

私が思ったように、自分の考えや分析、見立てをストレートに言う。誰かに忖度はあまりしない。

 

だから、本当のこと、核心的なことを言える。

 

1996年にわずか10通程度、メールで知人らに送信を始めたこの新聞が2020年ごろには8000部近くになっていた。

ユーチューブでは9万人が見るチャンネルになっていた。

 

でも、突然つぶされてしまった。

ネットがゆえに、ネットで弾圧するのはとても簡単。

それ以来、私も本当の話が言えなくなってしまった。

 

なるべく、当たり障りがないように言うしかない。

 

でも、賢明な読者なら私の言っている内容から「裏読み」できると思う。

それでいい。

 

■私が宗教団体を興さない理由

私の目的は「戦争と公害のない社会の実現」であり、自分が王様になって悦にいろうとか、プーチン北朝鮮のオッちゃんみたいなレベルの低い願望はない。

 

みんなが平和で、幸せに暮らす世界が実現すればそれでいい。

 

けれど、そういう私より、世間の人はセンセーショナルな宗教や、政治家、言論人、陰謀論者の言うことばかりきく。おもしろいね。

 

自分たちをダメにして滅ぼす人たちの言うことには耳を傾け、信じる

でも、毎度思うんだけど、そういう人たちの言い分を「自分で科学的に検証、分析、納得して」信じている人が誰もいないことなんだ。

 

世間の人は、私のことを「スピリチュアル系の人」「過激な変な人」と思うかもしれない。ひどい人は「在日」とか言ってくる。

 

そうか。笑いそうになる。

うちの家柄は、藩に3代仕えた大工棟梁だったし、その前は「承久記」にも書いてある家だ。後鳥羽上皇側で西国の武士として京の防衛をし戦った。後鳥羽上皇がボロ負けしたので一緒に弾圧され荘園を奪われ一族は日本全国に散って逃げて生き延びた。

 

でも、もともとは頭がいい家なので、領地は失っても高級官僚で現代で復活した。明治天皇は先祖を褒めてわざわざ勅願で神社も建てられた。もともとは朝廷の官僚とかやっていた。

武術も強いので、皇居で天皇のそばに控え刀を持ってボディガードもしていた。

 

小さい時から直感が強くて、人に会うと「この人いいか、ダメか」すぐわかった。

クラスメートが自転車を盗まれても、私は一緒に探してあげて見つけてあげることができた。「ここかな?」って思うとだいたい当たる。

相談で「カギをなくした」「書類が見つからない」という方から遠隔霊視で探してあげて「ここじゃないですか?」って見つけたことも何度もある。

 

先祖は平安京をつくった土木官僚だったのでDNA的に建築・土木に詳しい。

自分は小学生のころおぼろげに「建築家になりたい」と思っていた。でも、ITエンジニアになった。

それでも、自分の家をDIYで直したり作ろうとして、初めて建築学の本や土木工学の本を読み出したら、するする頭に入る。

やっぱ、そういう家柄なんだろうなと感じた。おかげで移住コンサルティングで人を不動産屋のだましから守ってあげるのに役立っている。

 

家は、藩士時代から浄土宗だったけど、分家は明治に公家の反対をおしきって下関でカトリックに入信した。聖心女子大の基礎を築いた。でも、今の聖心の人間はダメで「うちの叔母は女子で初めて岩下壮一の書生になり、マザー亀代子の命で聖心の創設時初めての国文学の先生をしたのだけど」と言ってもわかる人がいない……情けないことになっている。

私は、世の中の宗教抗争や対立をなくしたかったので、どの宗教にも属さないで中立でいようと思った。今まで、創価学会統一教会など新興宗教が勧誘に何度もきたけど、どこも失敗した。

 

私は、神道と仏教、キリスト教の3つの宗教を学んだ。でもどこの教会の支配下にもいない。

では、自分が教祖をやって新興宗教をたてるか?やるのは簡単だ。

でも、しない。

私が新興宗教をたてたら「対立要素が増える」だけだ。

創価学会が戦略で失敗したのは「自民党の支持母体になれず、自分で公明党を立ち上げるしかなかった」ことである。

「自分が自分が」でやりだしたら、大きなウェーブ、底辺を変えることができない。

 

私の目的は「世界から戦争と公害のない社会を実現する」ことである。

 

京都にいたとき、私は、はじめて皇室の陵墓、上賀茂や下鴨神社、各仏教の基本的な寺院に行くようになった。東京にいたらわからない世界だ。

そうしたら、陵墓や墓に埋葬されている人と会話できるようになった。隠されていた日本の歴史の真実をいっぱい教えてもらうことができた。

相国寺藤原定家足利義政伊藤若冲の墓を掃除して彼らと話すのが私の生活の一部になった。

京都や皇室の歴史で重要なのは後水尾天皇である。後水尾天皇ともよく話した。

孝明天皇と英照皇太后からは「もっと皇室の本当の姿を国民に知ってもらってください」といつも言われた。

 

残念ながら、みなさんが接している、その辺の明治・大日本帝国右翼の人が言っている皇室の話と私が本人らから聞いてきた歴史は違う。

日本の皇室や、神道・仏教の歴史は数千年続くし、そんなにやわやヘボでもない。もっと日本国民は自分たちの民族に自信と誇りをもって世界にやっていける存在だということも知った。

 

だが、その大事なことが……このように伝わらない。いいことは伝わらない。

 

困ったね。

 

大体の人は、誤った学者や小説家の話で歴史を学んで知る。間違ったベースの勉強で理論を「錯覚」していく。

 

私がこの世で、生きているのは「真実を多くの人に知らせること」「神様の意を伝える」ことである。それが神託。

自分は神様と直接つながっているので、宗教団体を経由する必要がない。

 

社会主義共産主義で世の中良くなるか?

結論からいうと「ダメ」

なので、若い人には自分の人生をこの思想で埋めて、不毛なマルクス経済学や資本論を勉強して消耗しないほうがいいと思う。

 

というか、今の日本共産党や、その辺の左翼の活動家がどれだけ本家本元の理論を学んでしっかり理解した上で、日々の政治活動をしているのか?すら、すごく怪しい。

 

私は、一般教養程度に知っているけど、それすらも知らないで、左翼の候補者をやって

いる人が多すぎる。

 

そもそも、左翼がはびこったというより、右翼がバカだったというのが、日本の昭和・近代史の歴史の反省だろう。

 

右翼団体にどれだけ共産主義者を論理的に論破してスマートに勝てる人がいるのだろうか?

 

もうちょっと、エレガントで、頭脳明晰な右翼言論人がいたら、みんな共産主義社会主義に勘違いすることはなかったと思う。

 

私は、大学よりは世間で「一流」の頭の人とつきあっていた。

一人に、佐藤克己先生がいた。三重県藤原氏の末裔「佐藤氏」で、数学や理数系に明るい家柄だった。佐藤先生の父は、尾崎行雄(咢堂)の後援会長だった。

学生の時は京大の哲学専攻で西田幾多郎の最期の授業を聞いて、その後東大の経済に転部し、戦後は新明和の役員をしたりクリスチャン系の桜美林大学の経済学部が創設されて学部長になった。

その、佐藤先生は陽明学をよくやっており、ご自身で「新陽明学」を建てていた。佐藤先生の勉強会には自民党三塚博や、今はヘタレ野党の菅直人までいた。

その佐藤先生の最期の弟子になったのが、私である。

 

私が佐藤先生の主張で感動したのは

「いいか、戦争で負けた。だからアメリカ軍に復讐を……なんてやめなさい。日本が平和な国になるようその身を使わなければなりません」

社会主義共産主義の間違いは、この理論では地球の資源やエネルギーが無尽蔵でないと成立しないことだ。地球の資源やエネルギーはわかる通り有限ではないか?彼らの理論通りやっても有限なエネルギーや食糧をどう分配するのだ?論理的に最初から破綻している」

なるほど。それはクリアな話だ。

佐藤先生は

「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。

ならば、裏返せば

「礼節に生きれば衣食は足りる」

ということです。

 

そうだよね。地球環境の問題、貧富の差、エネルギーや食糧の問題は、世界の人たちが「礼節に生きる」ようになれば「足りるように」なるということです。

 

つまり、人々の生活や人生の幸せは「宗教団体や社会主義運動」の中にはないということです。

 

あなたがそれを求めて、教会や左翼運動をしても、ないということです。

 

自分たちの心の中の神様に気づいて、ひとりひとりが変わって、社会の底辺を変えなければ「戦争と公害のない社会」は永久に訪れない……ということなのです。

 

なので、私はもう39年間そのために生きて行動してきました。だいぶ身体も壊れました。でも、私がなぜか生きているのは、私の欲というよりは神様や大宇宙の存在が私を必要としているからです。

 

病院の診察室やベッドで寝るとき「あー、もうダメかな」と思うんですが、プレアデス星人が必ず言ってくる。

「だいじょうぶ、あなたはまだ生きないといけません。」

そして、なぜか生かされてしまう。

 

私が言ったこと、かつて内海新聞で書いていたこと……何年か、10年ぐらい経ってから読むと「そうなったな」と自分で思うのですが。

みなさんは、読まないし、覚えていない。

私は、2020年9月に神社で世間の3人の著名人が死ぬことを神託で聞いて武田学校の動画にしました。1年たらずで7月8日ひとり亡くなってしまった。

誰も、気づかなかった。

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