こういうマジメで学術的なタイトルだと圧倒的に読む人が激減するのが今の日本社会のバカレベルなんだけど、読者は最後まで全部読んでね。すごく大事な日本民族にとって大事な話を書いておくので。
佐伯矩(さいきただす)って、皆さんが使っている「栄養」という単語を作った学者です。日本の栄養学の父、源流と言われる人です。
今の日本には「栄養士」という国家資格制度がありますが、これをイチから作り上げた人が佐伯先生です。
そして、この佐伯先生はなんと、愛媛県西条市の出身なのです。愛媛県西条市は国鉄総裁で新幹線の産みの親の十河信二もだし、佐伯先生は「明治・大正・昭和にかけて」「国家の根底で国民の栄養政策・行政」を作り上げた偉人です。
そういうすごい人が……この愛媛県人であり、愛媛県は輩出してきた。
にも関わらず、この愛媛県民は「その存在と重みを知りもしない」「自分たちは栄養もろくにちゃんとせず、心疾患国内ワースト1」の「ドアホぶり」です。
私は東京の人間ですが、ホント情けない。愛媛県って47都道府県の中で唯一「神様の名前」を冠した県です。
そして四国は「平安京より前の」「日本国家の基本」が今も静かに残っているところです。京都の神社より古い、荘厳で由緒ある神社と仏閣が多数あります。
京都にいて京都人より詳しい私が「驚く」ほど「格式と伝統」が残っている地区なのです。
■あまりにも神様が呼んでいる実態
私はそもそも、四国に住むつもりはなかった。だけど、なぜかこの愛媛県に住むことになった。
私が住むところには、京都の上賀茂、下鴨神社の「鴨氏」の本拠地が全フルセットであった。
これは、全国どこを見渡してもないのです。
さらに、皇室ゆかりで日本国家の底辺を支える大神社群、東京と違って「昔のまま」存在している。
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)……紀元前574年(BC 574)創建。日本全国の三島神社の本拠地。日本国家の鎮護の神様。帝国海軍、皇族が必ず祈願し、鎌倉時代以降の歴代武将の今も斬れる刀剣と甲冑が多数ある。
石鎚神社(いしづちじんじゃ)……紀元前63年(BC 63)創建。1000メートル級の四国のキールを牛耳る石鎚山とその一帯の広大な土地をすべて神域とする巨大神社。
伊曽乃神社……西暦158年創建。天皇家ゆかりの神社。盛大な西条祭りの出発地。
高鴨神社……賀茂氏本家の神社。奈良とここにしかない。
加茂神社……今治の菊間はだいだい朝廷・上賀茂神社のために馬を育てて献上する重要なポジションで今も京都の上賀茂・下鴨より盛んに馬が走る盛大な行事を行う。
……どうでしょうか?ウルトラ級の神社が私の周りにあります。さらに強力な宇佐八幡宮も古来からある。
正直、東京では無理な……ハイレベル、京都より古い日本の本質の神社が多数あるのが愛媛……伊予の国だった。
なので、本来愛媛県民は「神民」として、日本国家民族の本質的基盤を守る使命を負ってこの地を守らないといけなかった。
だが、来てみてどうだ。下品で、知性・知能が低い品のない人間しかおらず、神社も寺も荒れ果てて放置されているのが現実だった。
神事や祭りの意味もわからない、仏教もわからない……頭が壊れ、目が曇り、濁った「卑しい商売人」「神仏信じず金儲け」の人間がデカい面している世界だった。
■佐伯先生の家柄
佐伯先生の医学研究者、日本の栄養学、栄養行政をイチから構築して国立栄養研究所の所長になって、当時の日本国民、帝国軍の兵士らの栄養改善につとめた業績はネットであなたも調べればわかるし、以下の佐伯先生生誕150年の記念展示会が愛媛県松山市で行われているので、見に行ける人は行くといい。
★「栄養学の創始者」佐伯矩の歩み 松山・愛媛人物博物館で企画展(愛媛)
https://news.yahoo.co.jp/articles/60ad076cd0c5bfd9bea1edcd53fdb3ff5cb63166
今回、東京大学で佐伯先生の歴史を調査、本を書いておられる上田遥助教の話を直接聞くことができた。
上田遥(東京大学大学院農学生命科学研究科 助教。京大・農学博士)
https://researchmap.jp/haruka_ueda
ちゃんと東大から本出してるので。
https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/pub2506_ueda.html
そこで、上田先生が新たに発見した事実として
「佐伯先生は結婚した妻の実家が黒住教の教祖の娘だった」
なるほど。ただ、残念なのは東大の研究者は一般的に「左翼」が多いので、こういう場面で「黒住教という宗教」のこと、それにかかわる宗教的な観念とかスピチリュアル的に大事なポイントを思考や表現から「一切カット」しまうのだ。
これはNHKの番組作りでもそうでNHKのディレクターは東大卒が多い。それゆえ美術史や葵祭のような宗教行事を取り上げる際「民俗文化の行事」として表現したり解説してしまう。
肝心の……「神様の話」「宗教としての話」「神様の意味」はいわない。触れない。
なので京都の「葵祭」は「ただの盛大なパレード」にされてしまう。
あの行事の本当の意味をいわない。動員する解説者の「歴史学者」「民俗学者」も「宗教的な行事ですね」で終わる。見てて呆れるけどね。
「どういう意味の行事なのか?」「重要性」も「わからないし」「言えない」
私は京都で多数の「藤原氏の公家」「天皇家の墓」を墓参し、神社に参ると神託がおりて神様の声と対話ができる。
寺に行けば、弘法大師と今でも会って話すこともできる。
■私の家柄・ルーツについて
私の家柄は古代の「内海氏」であり天皇家の直轄領の愛知県の「内海荘」を領する領主だった。歴史書では「野間・内海荘」となっている。(今は名鉄の内海という風光明媚な観光地になっている)
皇族方として後鳥羽天皇と共に北条らと「承久の乱」で京都防衛で戦ってしまったので、領地と家すべてを没収され一族は全国に散り散りになった。
(あの戦いは、マジメに皇室の人間、裏切らない義理堅いマトモな人にとって、後鳥羽天皇側についた時点で最悪な展開だった)
だけど優秀な頭脳と血はDNAで続くので、幕末・明治以降は藩の役人、明治では多数の高級官僚を出した。
県知事、財務省、人事院、国連、三菱銀行などに優秀な内海氏の子孫が官僚としてなってきた。
ヒラリー=クリントンの顧問の占い師の「渋谷のパパ」の虎山アミンさんも私を鑑定したとき
https://ameblo.jp/momo-minbe/entry-12109004540.html
「あなたは役人をすべきだった。もし、役人していたらけっこうなレベルで偉くなっていたよ。なんでITエンジニアやってしまったの?」
……って何も私の情報も知らずに当てたけど……本当だったと思う。
私の家も三代、藩の大工棟梁を勤めて建築と土木に強い家だった。城や都市計画をしていた。
実家は城の太い、いい木材をもらって建てていた。土地の広さも1反(900平方メートル以上)あり江戸時代で3階建ての家だし使用人の家も敷地にあった。
内海氏は皇孫なので和気氏とも縁戚があり和気清麻呂(紙幣にもなったし、京都の護王神社に明治天皇勅願で神社になり、皇太子夫妻や愛子さまが参拝する)。和気氏は平安京の建築プロジェクトを手がけた土木官僚である。
そう。こうして粗末に扱われて変人扱いされている私はそういう家柄の人間なのである。
なので私は幼稚園の時すでに「将来建築家になる」と言っていた。知らずのうちに。そして公園の砂場で「毎日のように」「砂でダムと川とつくって」「水を流して壊して遊んでいた」先祖はそれらを作っていたからである。
そういう……記憶と先祖のDNAが自然と幼少期には現れる。だから子供を産んだ夫婦は自分の赤ちゃん、幼児が「どういう行動をしたがるか」「観察していると」いい。
子供は幼少の時期……かつての先祖がやっていたこと、使命だったことを……表すからである。
■佐伯はなぜ黒住教の娘をもらったのか?
ここからは東大の上田先生でも「読めない」「理解できないでいる」「不可思議な領域」となる。
私なら説明できる。
佐伯氏……名家なのである。古代から物部氏と同じく「軍事貴族」として朝廷に仕えていた。
佐伯氏は瀬戸内海・大分・奈良・大阪などを含めた「船で移動できるエリア」で分家が住み着き、拠点をかまえて暮らし年貢と財をなしていた。
ところが源平が盛んになって朝廷と中央政界を支配すると熱心な神道の信者で神様の声で政治や自分たちの行動をしてきた物部や佐伯氏らは追いやられ「衰退」していく。
武家ではやっていけない……どうやって生きるか?
彼らが選んだのは「医師や技術官僚」だった。
医師ならいつの時代でも「食っていける」「朝廷からも必要とされる」からである。
この愛媛においても「佐伯氏」の姓の家は多い。その末裔。
家の宗教は基本、神道だろう。
もちろん、四国は弘法大師の国であり圧倒的に真言宗が多い。
うちは武士が信徒に多かった「浄土宗」だけど、四国には浄土宗の寺はホント少ない。真言宗ばかり。
ちなみに……その人の先祖は「墓に行けばわかる」。どういうレベル、家柄、立場だったか……一目でわかる。
あなたは現代人だから……わからないと思う。それに、墓を預かる住職すら「目が曇った」「仏教人として堕落した」人が多く、自分の寺の歴史、墓地のことも「知らない」人が圧倒的に多い。
私は京都で公家の藤原氏や皇族の寺をよく参ったが、住職らの「無知」にはがっかりした。
私の方が変に詳しくなるしかなかった。
日本の歴史、伝統・文化の神髄や本質は……どんどん見えないように、知らないようにされ、皆さんは「ただのアジア人」「科学に頼って目が曇って破壊的な西洋文化人」になり果てている。
道徳も思想もダメで「ロボット以下」の人ばかりになった。
そういう人間らの集合だから「国自体も終わる」
これが私の直面した今の日本の姿だ。
そして日本の学術・エリート層を牛耳るのが「異教徒のクリスチャン」ばかりなので、神道・仏教は「ますます遠ざけられ」「ブラインドされる」
これが本質だよ。わかった?
ということで佐伯家が幕末まで医家だった理由が読めてくる(佐伯の父、おじいさんも医師だった)
そして、一族自体が「エリートで頭良かった」のでDNA的に遺伝して(親や祖父・祖母の頭の良さは子供や孫に遺伝することがわかっている)3代目の佐伯矩は愛媛の一流トップ高校だった「松山東」を優秀な成績で卒業し当時は京都大学がないので(意外だが、京都帝国大学は後にできた新しい大学なのである)岡山大学の医学部に進学する。
■岡山大学医学部のプライドが勘違いに高い理由
ハムさん「あれ?今はたいしたことない岡山大学が当時は優秀だったの?」
私「そうなんだよ。当時は岡山大学の医学部が先にできていて、岡山が優秀だったの。そしてそのあと、京都帝国大学が創設されて、佐伯らは京大にうつって京大の医学部・理学部を盛り立てていくわけ」
ハムさん「今でこそ、京大ってすごいってなっているけど、岡山の方が上だったんだ……なのに今の岡山は三流に落ちたけど、岡山大の医学部の先生がプライドだけはエライ高いのは……そういう歴史があるからなんだね。」
私「こういう歴史を知ると岡山大学医学部の勘違いのプライドの高さは……論理的・科学的に説明がつくな。」
■佐伯家は神道だったから、黒住教の教祖の娘を嫁にもらった
こういう「背景」を読み取ると「なぜ」「佐伯は黒住教の娘を嫁にもらったのか」みえてくる。
黒住教(くろずみきょう)……マイナーだけど、愛媛には黒住教の施設は案外ある。
知らない人のために、黒住教とは何か?簡単に書いておく。
教祖の黒住宗忠は岡山の神社の神官の息子として生まれた。
親も自分も「病気で死んだり」「自らも病気で死にそう」になるどうしようもない境遇になり、一心に太陽に向かって祈願したら「アマテラスオオミノカミ(天照大神)と自分が一体化する」体験をして病気が奇跡的に治ったことで「神覚」して生まれた。
それで当時日本のすべての神社を統括する吉田神社の宮司に認められ、1856年(安政3年)神社・教団となる。
黒住教は天理教と似たような感じで「幕末」生まれた。上賀茂のような古代からではない。でも今の新宗教(創価学会や幸福の科学とか)よりははるかに古い歴史である。
さらに「格が高い」神社・教団なのである。
それは「孝明天皇の勅願で生まれた神社・教団」だから。
そう、天皇の指令によって「創設が認められた神社」……うちの先祖の譲王神社もだが。「すごい名誉」なことである。
※天皇は通常「部下の政治家」を使って「命じる」のが普通だが、直接命令するのが「勅願」であり、直接自分で文章や文字を書いて国民に指示するのが「勅語(ちょくご)」である。簡単にはされないし、めったにないので……その重要度はエラく高いものとなる。
世間の普通の宗教、新興宗教……そういう待遇……ないんで。
孝明天皇は徳川の横暴で「黒船開国」「日本の外国侵略」される日本を憂い、自ら抵抗をされた天皇である。
私は京都で孝明天皇の陵をいつも参って、帝(みかど)と奥様の英照皇太后とも話していた。孝明天皇は藤原氏じこみで「字も達筆」「頭も斬れる」「学問も優秀」な「本来の天皇家の天皇としてふさわしい」「尊敬される」方である。
あなたと違って私は墓に行くと、そこに「墓碑の方」「埋まった方の霊」がおりてきて話すことができます。
その孝明天皇が黒住教の教祖の黒住宗忠の「超能力のすごさ」を知って「作れ」と命じたのが京都の吉田山にある「宗忠神社」である。今の黒住教の本当のルーツで大事な神社ここなのね。
https://munetadajinja.jp/
吉田山に建てた……時点で「気づかないといけない」
京大のそばの「吉田山」は、江戸まで日本全体の神道を牛耳って支配する頂点だった「吉田神社」が君臨する。
そして吉田神社の神官は「藤原氏」がつとめる。
つまり、町人だった黒住宗忠は「藤原氏の擁護のもと」「吉田山に特権で孝明天皇の勅願で立派な神社を建てさせてもらった」「破格の待遇」だったのである。
その後、黒住教は「もちまえの超能力による病気治癒」がフィーバーして、栄え、今の岡山の山奥に巨大な神殿を構築して本拠地となった。
https://kurozumikyo.com/about
今も地元の町で盛大なパレードしていると思う。
★「宗忠神社御神幸」前座吹奏楽パレード・表町商店街(2012/4/1)
その黒住教=神道バリバリ。当時の家の結婚は「家柄のレベルが一緒同士」「身分が一緒同士」「宗教も一緒」が条件であり、それが違うと「好き関係なく」「結婚認めない」「アウト」になる時代だった。
ということは、黒住教という由緒ある神道の神社の教祖の一族の娘を嫁にもらうということは「それなりの家柄、格式が相手の佐伯家と一族」にあったことを意味する。
ただの……町人ではない。
■佐伯の生き方、思想は「キリスト教」「黒住教」などの宗教観がベースにある。
ただ、近代医学の先端を学ぶ佐伯は「フランス人カトリックの司教」「妻の黒住教のおしえ」などの複数の宗教的観念の中で、自己の人生観、人生の一本軸として歩む「大黒柱」をうちたてる。
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私は政治家になろうとする人、若者にアドバイスする時
「議員になりたい、大臣になりたい……政治家になりたいのであれば、自分が何のために政治家になるのか?一本軸、根本となる考えや思想……ありますか?
それが自分でない、それは、誰かが言ったこと、人様の思想の借り物ではダメですよ?
自分で考えてうちたてた生き方、人生観、理想、思想……それを常に人生の一本軸として曲げずに、どんなつらい時も忘れない。
ぶれない……そういうものがない状態で安易に選挙で勝てばいいや、議員で金がもらえる……そんな程度で政治家やったら人間おかしくなって、犯罪すらするようになる。
その心、考えが……あなた?今できていますか?ないのであれば……そこをちゃんとしてしてから出馬しないと……ダメですよ。」
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と言う。私は間違っているだろうか?功利の「理(利)」さえあればいいか?
ダメだね。
西洋はそういう人が多いけど東洋、日本人だと自分が思うなら……それがないと……何事もうまくいかないです。
維新とか、参政党やら、れいわだろうが「世間でワーワー騒ぐ」程度のミニ政党の連中……こういう部分がないのだよ。
だから……変なことしかしない。
■佐伯は「単なる医学研究者」だけでは世の中よくできない……と早い時期に悟った
家柄もよく、頭の鋭くさえていた佐伯は自分がこれから人生を歩むにあたって、親交があって人生の相談や生き方を教えてくれたキリスト教の神父と話したとき
佐伯「神父さまは、宗教は礼を救い、医者は肉体を救う。」
リギョール神父
「いえ、私は霊界のことを取り扱うと共に、肉体を救うつもりです。
もし、私が医者だったら肉体を救うと同時に、霊界のことまで扱う。片面だけするのは正しくありません。」
と言われたそうです。これが彼の人生観に大きな影響を与えました。
「神様の信仰だけでなく、実際の人を救うこと、両方が大事です」
という話から「悟った」のである。
「多くの人を長い時間、ずっと、永続的に助けて救っていけるのは、食事でありその根底をなす栄養」だと。
それで、彼は京大の一医学者としての立場から「食で人を救って健康にする」という「一本軸の立場」を確立した。
これがその後の佐伯の「生き方」「断固たる曲げない方針」になった。
佐伯は当時、アメリカで先端の「生化学」の現場に留学していた。ビタミンなどの栄養素の発見、機能性が次々、解明されて最新の知見となった。
佐伯はそれらをもとに人間の生命力、病気の治療にこうした知見が使えないか……研究に没頭するようになる。
その結果生まれたのが「栄養」という概念だった。
■栄養という言葉は佐伯が生み出した
この単語は佐伯が生み出した言葉なのである。
私もそうだけど「単語やフレーズの造語」は「ものすごく考え、考え抜いたうえで」「これだ」という解と確信で生み出される。
彼は当初「養理学」と考えた。
次に「営養」と考えた。
だけど「栄え」「養う」という明るいイメージの「栄養」にした。
これで日本に「栄養」という単語が生まれた。
そして当時の内務省、天皇陛下からも支持され、国の予算で
「国立栄養研究所」
が創設されたのである。
なんと、これが1920年(大正9年)である。
この時代に、日本はすでに欧米でも遅れていた「食品と食事によって医療と健康を確立する」ことを「行政」として国民全体にやっていた。
今のアメリカのFDAにあたる機関を大正で作っていた。
■佐伯は「食事と栄養が国民の健康をよくし、その集合体の国がよくなり、ひいては世界各国もよくなって世界平和にしよう」と強く思っていた。
彼は「医学研究で成果だして褒められればいい」程度の頭でなくて「自分の行動で世界を平和にしたい」と根底から考えて、実践を続けた。
そのため彼は、戦争にのめりこみ「竹やり特攻」で「根性論」でやろうとする軍部を暗に批判するようになっていた。
これがもとで……彼は終戦前に栄養研究所ごと陰謀で解体され……名誉と要職からも遠ざけられることになったのである。
彼は名誉より「自分の生きる信条」「筋」を通し続けた。
私と同じである。
佐伯という人間が「ただの理系研究者」「医学研究人」でなかった、立派な部分はこれだよね。
私は東大の上田助教も佐伯の「本来の人生としての一本軸のこの部分」をきちんと論文や書き物にうちたてて言ってほしいと思う。
こういうところをきちんとみんなに残すように伝えないと……感動もないし、ただの栄養学者の一人で終わってしまう。
佐伯先生の偉大さは……これだよ。私にはよくわかる。
なぜ?私が今、佐伯先生と同じことを自分で実践して、世に広めようとしているからだ。
佐伯先生は生誕150年。それでも昭和、第二次大戦後まで生きた。
私がそのとき、東京にいても、私は佐伯先生の存在もまるで知らないし、会えなかった。
佐伯先生がつくった「佐伯栄養専門学校」はまだあるよ。
そして、海軍=海上自衛隊の営繕兵が必ず研修する学校になっている。
★佐伯栄養専門学校
https://www.saiki.ac.jp/
★佐伯学園の歴史
https://www.saiki.ac.jp/school/history.html
でも、なぜか辺境の愛媛にきて私は佐伯先生の生誕の地と墓のそばにいるのだよ?
これって……単なる偶然だろうか?いや?私がここに最初来た時は……何もないと思っていた。
ひからびた、さびれた、過疎の田舎。おちぶれた愛媛県の姿しか……なかった。
でも、もう10年たった。そうしたら神様は徐々に「必要な扉」を開いていくのだ。
神様は「すぐには教えない」「その者が、必要な段階になったら」「扉を開く」
これを私は何度も感じている。
タイミング……が常にある。
私が「余命ゼロです」「来週入院してください」と循環器内科医に言われなかったら……ここまで食事療法を詰めてしなかった。
恐ろしいほど解剖生理学と病理のシミュレーション、さらに一流の大学医学部教授・執刀医の講義を聴きに1年で「何十回」も行くことも……なかった。
ましてや武田式の食事療法を料理学校にまですることも……なかった。
だけど、その意味、理由はつながったのである。
この地で私は「賀茂氏」そして佐伯先生に呼ばれていた。
佐伯先生にはその頭と意思を継ぐ愛娘が一人いて、東京の佐伯栄養専門学校を継いだ。研究者にはなったので続くと……思っていた。
だけど、そのあと……ないのだ。もう断絶する。
佐伯家の人間が、佐伯先生以上に栄養学を医学にまで昇華させて発展させることは……していない。
でも、私はしている。モロ。
血縁が必ずしも、その人の生き方や思想を継ぐわけではない。
でも、私の人生には常に「日本の本物の人物」が見守って、ついている。
そして、私に「やれ」と言ってくる。
私は、神様や霊界から明らかにミッションを渡されてやるようになっている。
だから、こうしてこの新聞で、愛媛県民が誰も見向きもしない
日本の本当の偉人の一人である佐伯先生のこと、本当に知ってもらいたいことを書いている。
本当は、東大の上田先生のやることなのだが……。
(内海君:小市民)
