内海新聞のブログ

1996年創刊の我が国最初の電子新聞

日本の老人たちに吐き気がする

昔はね「年功序列」「老人を敬いましょう」と言われて俺は育った。

老人というと「赤いちゃんちゃんこ」「人間的にも尊敬できる」人たちだと思っていた。

確かに、俺が師事した老人は立派な人が多かった。

でも、ある時点から「こんなに変な人たちとつきあいたくない」と思うようになった。

私が今の老人と話していて、がっかりするのは。60代~70代とかに顕著だけど

1.歴史や教養があるようでない

2.宗教や、神様、仏様の気持ち、意志がまるでわからない。

3.物欲がひどい。

4.自分が、自分だけがよければいい……という人が多い

5.お金にケチ。せこい

これにつきる。

なんだろうね?確かに、みなさん、企業経営にせよ、お金もそこそこあるし成功者だと思う。田舎にいても、地元の一戸建ての家に住んで悠々自適の人も多いけど……尊敬できるような人は誰もいなかった。

どいつもこいつも……「モノモノ」「カネカネ」みたいな人しかいなかった。

 

俺が師事した老人、たとえば小島慶三先生(1917年生まれ。大正6年)の場合だと、彼は一橋大学に行って、経産省の官僚になった。その後、今里広記という日本の政財界でも一流の大物に見いだされて日本精工とかの副社長や日銀政策委員をされた。そして細川護熙にあおられて政界に入られた。それまでは上智・名大などの大学で経済学の講義をされ教え子は大物の社長になった人が多かった。

という小島先生は、俺が「スモール=イズ=ビューティフル」という講談社学術文庫にある開発経済学の本 

 を読んで感銘したので感想の手紙を送ったら、当時は参議院議員だったが突然秘書から電話があった。直接電話に先生が出てこられ「シューマッハーのことならどこでも講義に行ってあげますよ」とおっしゃった。国会議員が20代の若者にいきなり電話してきたのでびっくりした。それを機に「小島塾」という先生の私塾にも呼んでいただくことになった。

それで小島先生は見も知らぬ家柄も縁もわからない若造の自分に何をされたかというと?その後、議員会館から数十冊の自著や勉強になる本を無料で贈ってこられた。

世間の俺の知人のジャーナリスト、大学教授は自分が本を書くと「買ってね」と言ってくる。それで人間性やレベルがわかるけど。(基本的にまともな教授は若い人を育てようと思い、黙って本を送ってくる)

でも、小島先生は「どうぞ」って全部無料だった。

……で、こういう「挙動」を覚えておいてな。あなた。若い人。

 

私は、小島先生の本を読んで開発経済や世界の環境問題や世の中をよくしようと考えるようになった。そして、また知能がパワーアップした。

 

結婚する際、保証人がなかったので困った。荻窪の古本屋でたまたま買って読んだ俳人の田中恵子さんと文通していたのだけど、せっかくの結婚なのでダメもとで保証人をお願いしてみたらご夫妻で快諾してくれた。 

 ご主人は読売新聞社編集委員美術評論家としては有名な田中穣さんなのだけど、やっぱり、親戚でもなくどういう人かわからない自分のため保証人をしてくださった。 

東山魁夷 (田中穣のアート・ライブラリー)

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 さらに、祝儀までくださった。

……でね、こういう「挙動」を覚えておいてな。あなた……若い人。

 

私が中学の時にお世話になった、東京藝大出身の作曲家の原田甫さん(1930年生まれ。昭和5年)は、私が東京高専に合格したと伝えたら「ご飯食べよう」と吉祥寺の高級中国料理店に呼んでくれた。

60代だよね。その前に東急百貨店の上にある紀伊國屋書店に連れて行って「本を買ってあげるよ」と言われた。親でもない方にそこまでしてもらうのは失礼なので、私は遠慮して安い本を手に取った。すると原田さんは怒った。

「いや、これにしなさい」

彼は、森北出版の「化学辞典」を私に渡した。

……でね、こういう「挙動」を覚えておいてな。あなた。若い人。

 

で、だ。今の老人に何人あっても、金太郎あめのように挙動が同じなんだ。

こういうことを若い人にしない。

みんな「俺が、俺が」「俺のモノが大事」こればっかり。

 

先日、政府がワクチン会場を用意したら老人たちが殺到して「多数の行列」になったそうだ。

おかしくない?老人たちは「こんなに並んだらクラスターになる」と思わないの?

逆に「行かないほうが」人のためじゃないのか?って思考にならないんだよね。

だって「自分が自分が」「自分だけは生き延びたい」それだろ?

こうして、今の老人って「自分が助かればいい」という考えの人ばかりだから、そういう連中が一斉に集まる。

 

そして、案の定職員らに「いつまで待たせるんだ」と罵声を浴びせ、つかみかかる。

「こんなしてくれて申し訳ないです」という人がいないようだ。

 

「ワクチンうったら旅行や仕事にでかけたい」

……その……ワクチンうっても、体内のウイルス感染は起きるし、それであなたがキャリアになって人にうつす点は医学的にわかってるんだが、つまりワクチンうっても重症化しないだけで、自分がウイルスゼロクリアではないんだよ……その程度の知識も認識もない。

「俺が、俺は自由に動きたいんだ」そればっかだろ?

「ワクチンうっても、流行がおさまるまでは静かにして人に迷惑かけないようにします」とは誰も言わない……「旅行が」「クルーズ船」「豪華列車」ですか。はぁ

 

病院や老人ホーム、特養施設に入っても若い職員らに「すまないね」「ありがたいね」「こんな自分にこれだけしてもらってすみません」と介護士や看護師に感謝している人がどれだけいるのだろうか?

自分の権利主張ばかりで、くってかかったり、クレームをつけているのだろう。

 

俺が若い時つきあっていたころの老人は「自分たちはもう死ぬのだから、若い人に先にしてもらいなさい」と固辞して、死を選ぶ人が多かった。

 

そういう姿を見て、ぐっと涙が出て「だから、この人たちを大事にしないと」と敬老の気持ちがおのずとわいてきた。

 

それぐらい「男」だったし、度胸も、人間としての死生観、大きな器があった。

子供とか若い人って、そういう大人の姿を見て「自分もこういう立派な人、人生をやろう」と思うよね。

 

だから、私も老人になったら、孫はいないけど……その代わり多くの子供たちにいろいろあげて最後はこの世を去ろうと思う。資産はないが知恵はある。だから知恵をあげる。

 

ライブドア堀江貴文や、安倍晋三みたいなクズみたいな大人の生き方を見ていたら……「別に悪いことをしても法律で裁かれないならいいんだよね」って……みんながそういう生き方になってしまったよね。

 

今は……どの老人も「金は持っていてもセコい」やつが多くなった。

毎度なんだ。だから、老人と話すのも付き合うのも嫌になった。

近寄ってほしくない。

 

どうして、こうなんだろう。ひとつは今の団塊の世代の人たちは

「ヤバいぐらい貧しい、貧相で、最悪の少年・少女時代」を味わったからなんだ。

第二次大戦でボロ負けして東京大空襲で東京は焼け野原。

バラック小屋、ゴミ箱をあさってみんな生きていた。

進駐してきたアメリカ軍がチョコレートをバラまくと群がって拾っていた。

電気ブラン」「スパゲッティナポリタン」……インチキ西洋料理で納得するしかなかった。「ゆですぎのスパゲッティでいい」育ち方だった。

「家にテレビがないと気が済まない」「1台ではなく2台、3台ほしい」

そういう程度の育ちだった。

「安無精でも、狭い敷地にマッチ箱の家があればいい」

公団住宅はきれいですごい」

そういう程度の育ちだった。町はいびつに、狭い土地に安無精の家がすし詰めで建てられた。そうやって街並み崩壊しても……「バラックよりはいい」というのが彼らのレベルだった。

だから、欧米に笑われる都市計画や住宅地になってしまった。日本中が。

 

すべて、あの第二次大戦の敗戦が原因だった。

ある面、被害者だよな。PTSDだよな。日本国民全員がPTSDになった。

そういう時代の結果。

 

そういう俺の悲しみ、あなたわかるかな。わかんないか…… 

もはや老人はいらない!

もはや老人はいらない!